それ、本当に必要?必要だった?

平成最後の12月。

忘年会やパーティ、送別会など

お誘いも増えるシーズンになりました。

そんな年末ですが、

「それは、本当に必要?必要だった?」

を問うのに絶好の機会です。

 

モノだけでなく、こういったイベントや、

人間関係、自己投資してきたことなどです。

私の知人で

「忘年会に出ないといけないが、気が進まない」

という人がいたので、

そんな時の対処法をお伝えしますね。

 

よくよく話を聞いてみると

「大人数の飲み会が、
そもそもあまり好きではない」

「欠席を伝えると、
人間関係が悪くなるんじゃないかと
気にしてしまう」

とのこと。

確かに、欠席を伝えて相手の顔色が変わったりすると

「やっぱり行った方がいいのかな」と

モヤモヤしてしまうこともあるでしょう。

 

さて、ここからです。

あなたが本当に見直すべきは、

「気の進まない忘年会に出ること」以上に

「自分の意思を出すことを躊躇してしまうような人間関係」

そっちの方ではないか?

と疑ってみることです。

「そんな人間関係は必要ない。切りましょう」

と結論づける話ではありませんので、

どうぞご安心を(笑)

 

普段からその人の意見に振り回されているところはないか?

自分が、その人に気を遣っていることはないか?

それはなぜか?

これからも、それを続けたいだろうか?

 

などなど、

ご自分とその人たちとの関係や、

ご自身の振る舞いなど

色々と思い出してみることです。

 

このように

「自分の意思で選び、決めたこと」

を行動に移していくことも大事ですが、

決めて、行動した「後」に起きる問題や、

人間関係の変化などのほうが

「今の自分にとって必要かどうかを考えるべきは、

本当はここだったのでは?」

というポイントだったりします。

 

これを日々、繰り返していくことで、

やりたいことができる時間やお金が増えたり

決断のスピードが早くなり、

目標も立てやすくなります。

 

何より「自分で選び、決めた」ことは

自信につながるので

すっきりとした気持ちで、

新年を迎えられることでしょう。

新しいことも始めやすくなります。

ぜひ、12月のうちに試してみてください。

 

それでも・・・

一人だと、堂々巡りしてしまい、

何が自分にとって必要なのか、必要ないのか、

大事なのか、わからなくなっている。

決めることに自信が持てない。

そんなときに、コーチングを使ってみるのも一つの方法です。

「そんなの自分一人で見つけるもの」
「人に聞いてもらうなんて甘え」

と言いつつ、同じところをぐるぐる回っていると感じたら、

コーチングを使ってみてください。

体験してみる

日々、コーチ仲間と鍛錬しています。

コーチングのプロ資格を取得してからも、コーチ仲間と定期的に、オンラインでコーチング・セッションの特訓をしています。

仲間とはオンラインで繋がっていますが、そこにいる全員が、有料クライアントを持つプロコーチ。

メンバーの活動形態も、働き方も多種多様、旅人もいます。プロコースの真っ最中というメンバーもいるので、コーチングのスキルだけでなく、フィードバックのレベルがとにかく高い。お互いのコーチングの品質を見直し、磨き直し、コーチとしての原点に戻れる貴重な、かつエネルギーの高い場です。

練習仲間を募って日にちが決まると、「あ、このテーマを次の練習で使おう」というものが日々、山ほど溜まっていって、消化が追いつかない(笑)

もちろん練習の目的は「コーチングスキルの特訓」なんですが、自分自身がモヤモヤ抱えていた課題が、その練習の場で誰かのコーチング一発で解決してしまう、という回も多々あり、一石十鳥くらいのありがたい場となっています。

もちろん「練習しよう!」というその一石を、自分から投じること(声をかけること)が第一歩です。GIVE FIRSTに似た考えかもしれません。「誰か開催してくれないかな〜」という姿勢で待っていては、スキルも上達しないですし、そんな「クレクレ」精神じゃコーチングどころか、人様のお話を聞くことなんて出来ないもん。

そして何より、コーチ仲間全員が、プロとしての守秘義務や倫理規定を体系的にしっかり学んだ者同士だから、練習の場とはいえ、とてもセンシティブな、プライベートなテーマを持ってきたとしても、安心安全の場を創り、仲間を信頼して、コーチングに臨むことができるのだと思います。

私はこの練習の場で、プロ資格受験に必要な規定時間の3倍くらい、仲間と切磋琢磨していた気がします(規定時間を突破しないと、受験も不可なので)。

時には号泣するほどの感情をあぶり出してくれた、素晴らしいコーチング(1回15分で!)になることもあったし、スキル以上に悩みや葛藤もたくさん共有し合い、通常は1時間半くらいで終わるところが、話が盛り上がって3時間以上(日付が変わっていたw)やっていたこともありました。まるで部活動の部室のような、そんなエネルギーのある場所ですね。

最近、再びこの場で、定期的に鍛錬していこうと決めました。

自分のスキルアップのためだけでなく、私がこの場で鍛えてもらったように、今の自分が持てるものをどんどん出して行こう、それを必要としている人が、もしかしたらいるかもしれないし、それこそ循環であり、出し惜しむ理由などない、と思ったからです。

 

あなたのコーチは、そのコーチングの品質を高め、コーチとして人として、日々自己を磨き、俯瞰し、鎮め、なおかつ鍛錬されていますか?

コーチ自身が、過去の自分を認めているか?

コンサルタント、コーチング、カウンセリングにつかうセールス・トークとして

『毎朝の通勤地獄、残業時間3ケタのダメサラリーマンだった僕が』
『つまらない仕事、パワハラ上司、女子会マウンティング三昧で、人生に何の希望も見出せなかった私』

などなど、ご本人の「過去のダメな自分」を引き合いに出して、

『今の私は過去の『ダメな私』からこんなに変わりましたよ!』

といった文章を、これでもかと沢山見かけます。

「これだけ変われた」という比較、つまりビフォーアフターを見せることは、何を売るにしても、商品の魅力を伝える上で大事なことですし、その商品を必要とする人たち、特に「変わりたい」と願っている人たちの心理に訴えかけるには、とても効果的です。これは悪いことでもなんでもありません。

 

しかし、時々感じるのが、
「変われた今の自分」を強調するあまり、
「過去のダメだった自分」を、あまりにもけなしている人がいる。
現代風に言うならば、ディスっている、と言いますか。

過去の自分のこと、自分の置かれた環境、
仕事、人間関係、家庭環境、親子関係など、
当時は本当に本当に本当に嫌で、苦しんで、もがいて、
変わりたくて、変えたくてたまらなくて、
もの凄い努力をされて、成果を出して、
そのノウハウを立派な商品にされてるのは
とても伝わってくるのですが、
「ここまで卑下するのは何故だろう?」と感じることがあります。
まぁ、セールストークという面で誇張が入っているのかもしれませんが。

 

講師業、コンサルタント、コーチ、カウンセラー、アドバイザー、セラピストなど、なんでもいいですが、ご自身のセールストークやブログで「過去のご自身の姿」に言及されたことのある皆さん!

そんな「ダメだった過去の自分」、今では愛せていますか?

特に強く疑問を感じるのは、
ブログやSNSなどのメディアで、「今の幸せな自分」を見せるのと同時に、事あるごとに、「過去のダメな自分」を引っ張り出しては叩く人。

「この幸せ、XX年前の私に見せてやりたい」とか、
「あの頃のダメ社員だった俺に比べたら」とか、
事あるごとに、過去の自分を卑下する人。
昔の自分が、今でもそんなに大嫌いなんですか。

過去の自分が許せない人が、
「今の自分は、これだけ成功しました!変われました!」
「未来は自分で作れます!変われます!」
と声高に言っていても、
この人、今の自分を本当に信頼出来てるのかな?と思ってしまう。

なぜなら、今どんなに劇的に変わったとしても、
「過去の自分がいた」という事実は変えられない。
結局、その事実から目を背けて、認めたくないだけなんです。

その過去の自分の良い部分も嫌だった部分も、白歴史も黒歴史も全て、その存在を丸ごと認めて、許して、愛してあげられないのなら、

過去の自分を否定しながら、殺し続けながら、その屍の上で「今の自分」を売り出しているのと同じこと。

そんな人から、サービスを受けたいですか?

 

Aさん「仕事も恋愛もダメ、会社や社会に文句ばかり言ってたダメサラリーマンだったけど、あの頃の自分があったから頑張れた。今では笑っちゃうくらいだけど、あの時は必死だったんだなぁw」

Bさん「昔の自分なんて思い出すのも嫌。馬鹿でしかない」

あなたがコーチングを受けるなら、AさんとBさん、どちらから受けたいですか?

 

これね、
「過去の自分を全てポジティブにとらえろ」
「ダメな自分を忘れろ」
ということではないんですよ。

思い出したくないこと、恥ずかしい経験、期待されながら失敗したこと、やりきれずに逃げ出してやめたこと。生きていれば、誰でも持っています。そんな自分を、今はどう感じていますか?今だに許せませんか?それはなぜですか?

 

「自分を変えたい、人生を変えたい」と思って自己投資している人は特に。

お金を払う前に、そのサービス提供者が「過去の自分をどう思っている人なのか」を、ブログやSNSの文面から見極めることをお勧めします。

私自身、受講への一つの判断材料にしています。

「帰省・実家・親・年末年始」とコーチング

2018年もあとわずか。いかがお過ごしですか。

 

さて、いきなりですが・・

ここでいくつかの言葉をどーんと出してみますね。

 

年末年始

帰省

実家

義両親

挨拶

義兄弟

お年玉

親不孝

お土産

地元

同級生

 

・・・

 

この言葉を聞いて、

今、あなたの中で何が起こりました?

どんな風景が出てきましたか?

誰の顔が、思い浮かびました?

何を言われていますか?

そこにいるあなたは、どんな顔をしているんだろう?

 

「毎年この時期になると、ちょっとなぁ・・」

「これ聞くと、毎年ちょっと憂鬱になるんだよな・・」

「考えただけで重くなる・・」

「なんかイライラしてきた・・」

 

こんな気持ちになったかもしれません。

そこでは、何が起こっているのでしょう。

 

いやいや、ただの感情でしょ。

みんな色々あるのは当たり前。

その感情をうまくコントロールするのが大人でしょ。

 

もちろん、ごもっとも。

ではその感情、本当はどうしたい?

「どうしたいだなんて、子供じゃあるまいし・・」

「みんなは」「普通は」「大人なら」「日本人なら」

いいから、そいつらをちょっと脇に置け。

 

たとえば、

「義実家に行くのが嫌だ」

というネガティブな気持ちになったとします。

ネガティブな気持ちを持つこと自体は、

決して悪いことではありませんし、罪悪感を感じる必要もありません。

「良い悪い」なんて、誰かが決めた単なるラベリング。

むしろそのネガティブにフタをして、

毎年毎年、やりすごしてきませんでしたか?

来年も、それやる?

 

ネガティブな感情の先には、

あなたの本当の願いが埋もれていることが多いんです。

「どうするか」よりも前にさ、

本当はどんな気持ちで、年末年始を過ごしたいですか?

 

わたしのコーチングでは、このようなテーマもしっかり向き合います。

12月になるとですね、年末年始が憂鬱・・という理由で、コーチングを選ばれる方がたくさんいらっしゃいます。

それでいいんですよ。

 

こんな憂鬱、なんとかしたい。

理由はわかっちゃいるけど、何かできるわけでもないし、いつも堂々巡りで・・

なんとかしたい!

なんなのか知りたい。

その気持ちが、出発点です。

 

いつもの年とは違う気持ちで、年末年始を迎えてみませんか?

 

まぁ、ちょっくら体験みるか、と言う方はこちらを読んでね。

心を整えたければ、体を大事にすること

私の好きな言葉の一つに、
仏教用語の「心身一如」があります。

からだとこころは一体であり、
切り離して考えることはできない、
という意味です。

体の調子が良くない、
食事が不規則だったり偏食だったり、
睡眠不足だったり、
いつもどこか疲れていそうな人が、
どれだけ素晴らしいコーチングや
カウンセリング、セラピーを受けて
「心を整えよう」としても、
その心を受け入れる「身体」を大事にしないかぎり、
コーチングの効果は半減してしまいます。

逆に考えれば、
コーチングと同時並行して、
せっかくだし体も大事にしよう、
早く寝よう、食習慣を見直そう、
などなど、
「体をいたわる」意識をもつだけでも、
コーチングを受ける効果はかなり変わってくるはずです。

心を整えたい、
メンタルを強くしたい、
仕事や人間関係のモヤモヤをなんとかしたい、という方は、ぜひご自身のからだにも目を向けてみてください。
食事は、睡眠は、十分にとれていますか?


これはコーチの側にも言えることでして、食事が乱れていたり、睡眠不足の状態では、コーチングの品質は確実に落ちますし、そんな状態でクライアントさんにお出しすることはできません。(どんなに誤魔化しても、クライアントさんに伝わりますから。)

私はコーチングをするようになってから、体調管理にはこれまで以上に敏感になり、行動もかなり意識して変えています。今も現在進行形で、試行錯誤しています。

理由はただ一つ、
せっかく来てくださったクライアントさんと、常に最高のコンディションで、コーチングをしたいと思っているからです。

自分の体のケアもできていないコーチやカウンセラーに、お金なんて払いたくないですよね。

食事や栄養面で、その道のプロに助言をもらいたい、というクライアントさんには、栄養学の専門家をご紹介することもあります。

行列の絶えないコーチやカウンセラー、セラピスト、講師業・・などの先輩方をみていますと、食べ物や睡眠、運動などに気を遣い、体のメンテナンスや休養にしっかりと投資されている方が圧倒的に多いです。

メンタルが非常に安定しているとお見受けする人をみると、やはり健康面に気をつけておられます。

心を整えたい、という願いがあるならば、ご自身の周りで、心が安定していそうな人、安定させるための方法を知っていそうな人を見つけて、その人の行動や食事、健康法を聞いたり、真似してみるのも良いですね。

亜鉛サプリの飲み方を間違えた!中毒症状の記録

亜鉛(Zn)のサプリメントを隔日で摂取しているのですが、あろうことか空腹時に飲むという大失態をやらかしました。どう大失態だったのかを、今後の再発防止策のために記録として残したいと思います。

尚、これは一個人の「誤飲」によるもので、サプリメントの商品自体に問題があることを示唆するものではありません。特定のメーカーの商品への誤解を避けるため、筆者が摂取したサプリメントのメーカー名は、公開しません。

当時のメモはリアルタイムで記録したもの。誤字脱字以外、そのまま載せています。まぁゲーゲーしながらよく書いたよ・・

亜鉛サプリ 空腹時に摂取した一部始終

2018年11月20日

7時40分頃

味噌汁に蒸し大豆、乾燥アオサ、白ねぎを入れて食べる

7時55分

亜鉛サプリ(1錠)摂取(他のサプリと併用)

8時30分頃

通勤中、会社まで小走りをしたあとの信号待ちで、生あくびが止まらず、胸の不快感、弱い吐気

9時過ぎ

吐気強まる、生あくび頻発、ボーっとする、手先のむくみ、思考速度が遅い、眼球の奥に不快感、口内が不味い(水を飲んでも治らず)

理性ではコーヒーを欲するが、体が全く欲していない状態のため中止。水を多めに摂るも、吐気が増す。深呼吸して何とか紛らわす。

9時30分

頭がゴワンゴワンする、頭痛、強い吐気、水が不味い。じっと座っていられない。

何とか手は動かして、単純作業から手をつける。数値の確認、作文作業など、集中力が必要なものは後回し。

PCのディスプレイが眩しく感じ、かなり暗くして作業(同僚がびっくりするほど)

こめかみをグリグリ押したくなる。

ろれつ、会話は問題なし。

悪寒、ほてりなし(検温はしていません)

9時45分頃

15分ほどの周期で、吐気が和らいだり、出たりを繰り返す、頭まだゴワンゴワン、思考速度が遅い、ぎゅっと力を入れて瞬きをしたくなる、眠気、生あくび

10時頃

吐気が徐々におさまる、同僚と談笑したことですっきり感(これが意外にも突破口!)、胃に若干のもたれ感、水が不味い

10時15分

吐気なし、胃のもたれ弱まる、たまに頭もうろう

10時30分

頭のもうろう、若干の頭痛がのこる、吐気なし、眠気あり

11時30分

眠気あり、集中力散漫

午前のタスク予定通り完了。少なめで良かった・・

12時00分

食欲減退、それでも食べる。味覚あり。嗜好に変化なし。コーヒー不味い。

所感

※ 薬学や生化学の知識がない前提で書いています。

  • 吐気のピークは8時半~10時。空腹状態だと、摂取後30分前後から急に中毒症状が出たということになります。
  • 頭痛のピークはそれより遅れて10時台でしたが、その後、結局13時くらいまで集中力散漫となり、ダラダラと生産性の低い状態が続きました。

急性中毒症状が胃から始まり、脳神経へと影響が移っていくのを体感しました。

午前中に会議やイベントがなくて幸いでした。

教訓!

亜鉛サプリは、十分な量の食物と共に摂取すること。具沢山とはいえ、味噌汁一杯では不十分でした。

空腹時、または食物が液体または半固体(ヨーグルトなど)だけの時は、絶対に摂取しないこと。

どのタイミング(時間帯)で飲むのが、自分の身体にとって最も適切なのかを調査中です。

これも個人差がありますし、私はその結論をめぐって公開の場で議論に耐えられるほどの専門的知識を持ちません。なので、結論が出たとしても公表するかは未定です。

亜鉛サプリに関しては知人数人から、やはり「空腹状態で摂取して中毒症状が出た」という話が出ました。

サプリメントの摂取量やタイミング、飲み方等については、そのメーカーの記載に従うべきであることは言うまでもありませんが、やはり「自己責任で口に入れるもの」という自覚をもって摂取すべきだと、あらためて感じる一件でした。

向き不向きなんて、やってみなければわからない

メーカーの製品サイトを担当して1年。

製品の良いところや特長、使い方を書くのは、専門知識がついてくることで、確かに「書きやすく」はなったけど、楽しいかどうかは、別です。キッパリ!

「できること」がかならずしも「やりたいこと」ではない好例となりました。

サクサクこなせるけど、ワクワクはしない。

なぜか。

私の場合、そこに「人」がいないからです。

何に光を当てたいのか

もちろん、私が常に意識しているのは、「製品を使う人のことを考えて書く」ということなので、書く視線の先にあるべきは、もちろん「人」。

メーカーとして蓄積したデータはありますから、こういう用途の人、こういう現場で使う人、こういう結果が欲しい人・・を何通りも想定して、「製品知識がまったくない、これから初めて使う人」になったつもりで、「たとえ小学生のユーザーであったとしても」わかるように書くことを意識しています。

でも、結局は「製品」が主人公のお話になるので、やはりモノについて書くのはあまり心躍らないんだ、とわかりました。

モノの生みの親である「作り手」にスポットを当てて書くのは好きです。

ただし、メーカーという立場で、製品サイトという場に出す以上、「ユーザーの欲しい情報」としてのニーズ度合いからすると、優先順位が下がってしまう。

重要なのは、私自身がそこまで、この製品に愛着があるかというと・・・ない(笑)これが結論のキモでしょうね。ここは、自分自身がその製品をどれだけ好きか、というところでも違ってくるのかもしれません。

 

やはり私は「人」について書くのが好きなのだとわかりました。

人の作る有形無形のサービスを紹介するのが好きなのも、作った人や、これから必要としている人のことを思い浮かべるのが好きだから。

きっと、人の描く未来が見たいんだと思います。

そこに「正しいかどうか」「現実的かどうか」「結果がでるのか」などの視点は、あまり意味をもちません。

作り手が、その製品やサービスにどんな未来を託したのか。

どんな未来を描く人に、その商品を届けたいのか。使ってほしいのか。

人から、人へ。そこに光を当てて、世に届けたいんだと思います。

モノについて書けるのは、自分が心躍るモノなら書けるかな、という感じです。

理屈ではなく体感覚で、好きと言えるか

こういう結論が「頭ではなく体感覚で」出せたのも、

苦手意識や経験不足、というバイアスをあえてかなぐり捨て、自分の手を動かして、まずはやってみたからこそ。

ある程度の時間と手間をかけてでも、その先に見つけることのできた、自分の特性です。

やはり「やってみないとわからない」というごくごく当たり前の結論。

 

これをすっ飛ばして「私にどんな適性があるのか、結果だけ先に教えてよ!」というニーズが席巻する今の世の中。

たとえ望みどおりに即、知れたとしても、中身が伴ってないことが多いんですよ。というか、中身がついてきていない感じになります。

まず、ハラ落ちしないよね。手も体も動かしていないから

結果だけ見て「確かに理屈に叶ってるし」と頭では理解したけど、

その結果に納得「しよう」としたり「じゃあ、これからどうしたらいいの?」という感じで迷子になっているのは、

「行動が伴っていないから」ではありませんか?

それ、実際にやってみましたか?

 

短期間でもいいから、まずは何でもやってみること。

好きか嫌いか、自分の向き不向きの結論を出すのは、それからでもいいんです。

「やりたいこと探し」の無限ループから抜け出したいときも、同じです。

とにかくまず手をつけてみる。初めてみる。見切り発車でもいいんですよ。

無駄になることなんて、何一つありません。

「まずはやってみる」。ごくごく当たり前のことですが、私自身が、このことの重大さを改めて体感しました。

ひとこと、悔しい!

自分の力ではどうにもならない「理不尽」が重なって、いま非常に悔しい思いをしています。

こういう時、私は「分析思考・問題解決思考」がとても強いので、
感情を脇に置いて、因果関係とか、再発防止策をひたすら考える傾向があります。
それも正しい。仕事ならそれで回るから。

でも、今回は「この野郎・・奈落の底まで行ってやろうじゃないの・・・w」という、打ちのめされた末のおかしな実験欲と怖いもの見たさ、同時に
「この悔しさ、絶対に忘れるな!!」という鋭く強い怒りもあって、
「棘と毒っ気のある強い甘み」を恐る恐る味わってやろうじゃないの、という妙なところにいます。仕事中です。

色で表すと、
腐ったオレンジとアケビのような鮮やかな紫、そして漆黒が混ざったような感じ。まるでハロウィン仕様です(笑)流血はナシで。

こいつらを底の底まで感じきって、奈落の放物線の底にしっかり手をついてから、初めて「さて、どうする?」と整理していきたいのです。

 

当時はオフィスにいたので、あまりの悔しさに、トイレに行くたびに壁の一枚でもぶち抜きたくなる衝動に2回くらい駆られたけど、それが「理不尽」を前に自分の中に起こっている、偽りのない反応だと感じたし、それを俯瞰的に、良し悪しのジャッジを入れる事なく、クリアに検知することができた。

そういうネガティブな感情ほど、平然と感じなくなることが一番怖いからね。
(それを表に出すかどうかは、また別の話です)

仕事は、そのイライラ感を逆噴射する勢いで、一気に終わらせました(笑)

 

さて、悔しい感情を感じ切るとか、奈落の底の底まで行くとか、
なぜこんなことをするかというと
実はそれが私にとって、次に進むための最短ルートだから。

理性で蓋をして、解釈や意味づけを一生懸命やったり、
甘いものやお肉やお酒で満たしたり、何日もモヤモヤするのもいいけれど。
一気に感情の底まで駆け抜けるほうが、
瞬間的に大きなエネルギーは必要とするけど、回復も早いのです。

そして次に進みやすい。行動に移る時間も早いし、他のことへの影響も少ない。

強い激しい感情というのは、感じた瞬間は不快なものですが、
その感情の放物線の底をついてみないと、わからない境地がある。
でも、実はそれが最強の上昇エネルギーに変わることがある。

放物線じゃなかったかもしれないし、そこでどんな視界が待っているのか、わからないのがまたスリル。・・怖いけど。
きっとそれを感じ尽くしたいのだろうし、その先にある未来を信じているんだと思います。・・怖いけど!

感じきる方法は色々です。コーチングのクライアントさんには、実践としてお伝えすることもあります。

ここまで書いて、自分が、好奇心の塊のような人間だと改めて呆れていますが、
ここまで書いただけでも、昼頃にあった激しい感情は、ちょっと質感が変わっています。

だから面白い。人生は全て実験。
これも私のライフワークのひとつなんだと思います。

「シェア」もアウトプットになる

FacebookでもTwitterでも、何かの記事を読んで、これをみんなに読んでもらいたい(あるいは、読むべきだ)と思ったときに押す「シェア」ボタン。

やり方しだいでは、とても良いアウトプットになると考えています。

私は、誰かの記事をシェアするとき、一言でも「紹介文」をつけます。

あんまりダラダラ長い感想文になると、記事にたどり着くまえに直帰されてしまうので、

「この記事の見どころ」

「読んでこんな発見があったよ」

「こんな人におすすめ!」

これらをいかにシンプルに、見つけた人が読みたくなるかを考えて、2、3行になるように書きます。

この「紹介文つきシェア」、メリットがたくさんあるのでご紹介します。

自分自身のアウトプットになる

まずはこれです。これが本当に大きい。

私は、その記事を自分で読んでみて、本当に「良いな」と思ったものだけ、シェアしています。

友達だから、有名な人だからと、内容も読まずにポンとシェアすることはありません。

内容を読んでいるので、紹介文を書くということは、自分自身のアウトプットになるということ。

その記事のどんなところがよかったのか、誰に読んで欲しいのか。

これをアウトプットするだけでも文章のトレーングになるし「あまり時間をかけない」というルールを作れば、集中力も鍛えられる。

こうやって「紹介文」という形でアウトプットすると、一度シェアした記事の内容はしばらく覚えているし、「誰々さんのこんな記事があったな」と、のちのち役に立ったことが何回もあります。

記事の主に喜ばれる

紹介文が書けるということは、内容を読んでくれた人でもあるので、記事の主から感謝されることはとても多いです。自分の記事が感想つきでシェアされたら、嬉しいですよね。

「読んでくれた」「紹介してくれた」のダブルで喜ばれます。

記事の主から「この紹介文、とても的を得ているので、私の告知記事で使ってもよいでしょうか」という問合せを頂き、ご縁ができたこともあります。

著名な作家さんの記事をシェアしたら、なんと本人から「いいね!」やお礼のコメントが来たこともあります!(覚えてもらえるかも?)

でも大原則は、有名無名に関わらず「本当に良いと思ったものだけ」。

誰々さんの記事だから問答無用でシェア、というのは、ビジネスパートナーでもない限り、私はできません。ここは、自分の価値観や感性をしっかり尊重してあげることを大事にしています。

シェアの嗜好から、自分の好きなことがわかる

紹介文を書くことで、

「自分が何に興味をもっているのか」

「どんなところに感情を動かされたのか」

「(シェアすることで)何を世の中に伝えようとしているのか」

これらが見える化されるんですよ。これはまさに、自分の価値観や強みに繋がるもの。

私が尊敬する方の言葉に、

「自分を知りたければ、自分のこれまでのアウトプットを見ろ」

というものがありますが、それが紹介文というアウトプットでもわかるということ。

自分の好きなことがわからない・・というなら、自分が良いと思った記事をシェアして、初めは「すごい!」の一言でもいいから紹介文を書いてみるのはいかがでしょう。

そのストックが、あなたという人間のあり方の輪郭になっていくはずです。

番外編:無言シェアについて

逆に、何の言葉もなくぽーんとシェアされた記事、ここでは勝手に「無言シェア」と読んでいますが、私は無言シェアされたものは、ほとんど読みません。

有名な人でも、よく知っている人でも、何人もの人がシェアをしていたとしても。

読んでみたら良い記事なのかもしれませんが、「その時点で」興味がわかなかったら、リンクの先に行くことはまずないです。

タイトルだけだと、何の記事なのかもわからないことも多いし、それだけで興味は半減する。そして一度スルーしたら、二度と拾われることがない。

その人がどういう意図でシェアをしたのか、その場で少しでも垣間みえないと、興味がなくなってしまうのです。

理由はただ一つ。

私がSNSを触る時間は、とても限られているので、その場で自分の感性に触れたものにしか、時間を使わない。そういう生活をしているからだと思います。

アウトプットは、人生を変える

私の友人には、「自分のブログを書く」というアウトプットを続けたことで、人生が劇的に変わった(変えた)人が何人もいますので、頭ではなく肌でそう感じますね。

最近、アウトプットをとても意識しながら生活しています。コーチングのクライアントさんにも、自分の実践で効果的だったアウトプットのしかたについてアイディアを共有することが多くなってきましたが、これがとても楽しい。

理由のひとつは、精神科医・樺沢紫苑さんの著書「学びを結果に変えるアウトプット大全」からの影響をとてつもなく受けているから。

この本、ただの「アウトプットのためのノウハウ本」ではありません。

話し方、書き方だけでなく、コミュニケーション、人間関係、生活の全てにおいて使えます。

なぜそのやり方が効果的なのか、心理学分野、脳科学分野からのエビデンスもしっかり書かれていて、とても説得力のある文脈。そして、その章を読んだその日からすぐに活かせる、活かしたくなる。

「学生時代に出会っていたら、勉強や就活すらもっと楽しくなっただろうな」と思えるほどです。学生の方には迷いなくお勧めしています。もはや布教活動です(笑)

「気に入った記事を、自分の言葉でシェアするのも立派なアウトプットである」ということは、この本を読みながら確信したこと。

これからまだまだ出て来ること思いますので、どんどん「アウトプット」していきたいと思います。

どうする?価値観の違う親との会話術

親と話をすると、家庭、食事、働き方、お金など、「価値観が違うなー」と感じる時はいくらでもあります。

「みんな違って、みんな良い♬」で終わればよいですが、それだけでは済まないのが、親子の会話。では、どうすればいい??

私のコーチング・セッションでもたびたび出てくる「親子の価値観の違い」問題。今回はこのテーマに、私の経験や実践にもとづいた、会話やコミュニケーションの面からのアプローチをしてみたいと思います。

まずは、私の実例から。

夫の健康管理は、妻の仕事?

私の夫は、食べる量が多い人間なので、見た目「食べっぷりがいい」と言えばそれまでですが、しばしば食べすぎてひっくり返っています。

私の母親がそれをLINEで見て「奥さん(つまり私)がしっかり健康管理しないとね!」と言うことがあります。ここで私は違和感を感じるのです。

夫の健康の管理は、妻である私の仕事なのか?
子供ならいざ知らず、自分の意思で病院にも行ける、立派な大人じゃないか。

世の奥様がた、そんな言葉ひとつで目くじらを立てるなんて、と思わずに、まぁお付き合いください。自分の中に湧く小さな違和感って、無視しちゃいけないんですよ。

悩むまでもなく、「男は外で働き、女は家で家庭を守る」という大前提のもとで、それで社会も経済も家庭も(なんとか)うまく回っていた時代を生きてきた中で作られた、その人の価値観が現れています。夫婦は、現代よりも「完全分業化」していて、「24時間戦える夫の健康管理は、専業主婦である妻の仕事」という考え方を、私の母親も当時なりに納得して、自分の使命として家庭を営んできてくれたのだと思います。その生活の中で私が生まれ、育ててくれた事実もあるので、母親への感謝の気持ちもそこにはあります。

でも、今の私と夫は共働き。働き方も違うから、ご飯が三食別々になることもあるし、寝る時間、起きる時間だって違う。加入している健康保険だって、別々です。このように、自分の親たちとはすでに異なる働き方、生活スタイルを積み上げている以上、自分の親と価値観が違ってくるのは自然なことです。

価値観が自分のものと違うからといって、どちらが良い悪いの話ではないのです。

さて、ここからです。価値観の違う人とうまくコミュニケーションをとる上で、「正論だけど、使わない方がいい」言葉がありますので、代替案と共にご紹介したいと思います。

「時代が違う」「価値観が違う」では解決しない

親の価値観でものを言われたとき、異なる価値観をもつ子供が真っ先に言いたくなるのが、この言葉ではないでしょうか。

「お母さん(お父さん)たちの頃とは、時代が違うんだから」

私もかつてはよく使っていました。が、この発言をすることで、その場の空気が良くなることはなかったと記憶しています。

親とは、時代も価値観も違う。確かに事実だし、正論ですから、これを論破のためにバシッと使いたくなる気持ちはよーくわかります。

でもこれね、言われた側は、決して良い気持ちにはなりません。あなたとは違う、と言っているつもりでも、自分たちが時代遅れなのか、価値観が古いのかと感じたり、今まで生きてきた人生や時代を否定されているような、悲しい気持ちにもなってしまうんですよ。

人によっては、子供がそんな生意気を言おうもんなら「時代なんて関係ない!これは常識だ!」などと意固地になってしまい、親子関係がますます険悪になってしまうこともあります(これ、20代の頃の私なんですが)

流石にここまでくると、親の側にも、そろそろ手放した方がよいものがあるのですが、ここはまた別の機会に書きたいと思います。

自分なりの愛情表現を伝える

だからといって、自分を親の価値観に合わせる必要もありませんし、あなたはあなたの価値観を貫いて生きてほしい。親と価値観が異なることに、罪悪感を感じる必要もありません。

価値観の違うもの同士のコミュニケーションにおいては、相手に違和感を感じた時に「相手を自分の価値観に合わせようとする」防衛本能のようなものが、人間にはあるのかもしれないと思っています。

親にも、自分にも、そういう部分があるんだな、と思うようにするだけでも、親との会話のしかたが少し変わってくると思っています。

 

それでもやっぱり「私の価値観はこうだよ!私はこうするよ!」と親に言いたくなることがあるでしょう。それは良いことだと思いますし、自分で自分のことを決めている証。

私もそういうタイプなのですが、ただガツン!と言うだけでは「対立」になってしまうので、できるだけ親にもメリットを感じてもらえる言い方を、長年研究してきました(笑)それが、こちら。

「私が病気や災害にあって動けなくなっても、夫が自分で食事や健康管理ができて、非常時でもどちらかが元気でいられるように、普段から健康管理はお互い自分でやるようにしているよ」

妻だって、常に元気でいられるとは限らない。特に、災害の多い昨今、専業主婦として家に居たって、いつどこで災害に巻き込まれるか、テロや感染症に巻き込まれるか、誰にもわからない。夫にはいつも健康で元気に生きてほしいという妻としての愛情があるからこそ、お互い自分でやれることは自分でやろうね、でも、出来ない時はお互いカバーしようね、というスタンスであることを伝えています。

さらに「お互い忙しいから、お互いの体のことはいつも気遣うようにして、感謝も伝えているよ」とフォローすれば、納得してもらえるかもしれません。要は、

「自分と異なる価値観であっても、それはそれで成功例がある」
「妻として、ちゃんと夫への愛情がある」

ことを見せてあげて、安心してもらえればよいのかな、と思っています。

私の親の例でいうと、「うまく行っているなら、それでいいのよ」とあっさり会話が終わることもあります。価値観が親と子でガラッと変わるような、変化の激しい時代であっても、子供はその時代に合わせてたくましく生きているのね、と思えたら、親として安心できるのかも。その気持ちをコミュニケーションの中で感じてもらえればよいのではないかと、思います。

親や祖父母の世代の中には、現代の「なんでも自己責任」的な風潮に、違和感や寂しさを感じている人がいるのも事実。夫婦間まで「なんでもかんでも自己責任」という雰囲気を感じると、つい自分の経験を伝えたくなるのかもしれませんね。

相手を尊重しながら、自分を貫く

究極のところ、これなんですよね。「これが難しいから、悩んでるんじゃん!」という声が聞こえてきそうですが、コミュニケーションの問題は、コミュニケーションの実践でしか解決策は見つからないんです。本だけ読んでも実践しなければ、何も変わらないのと同じです。

親との価値観の違い問題については、子供はとかく「親の価値観は古い」という前提で言葉を進めがちになります。事実、今の時代にそぐわないものだとしても、親の価値観は、親のもの。子供の自分が変えてやろう、などと思うのは、相手をコントロール(支配)しようとすることに他ならず、相手への潜在的な恐怖の裏返しでもあります。帰省のたびに価値観マウンティングをし合っていても、親子で過ごせる生涯の残り時間は淡々と減っていくだけです。

この人は、こういう価値観で生きてきたんだな、こういう時代だったんだな、とまず受け止めてあげて、その上で「でも、私はこうする」と切り分ける。親子であっても、あなたはあなた、私は私。それでいいのです。

 

それでもなお、親が過度に干渉してきたり、親の言葉にものすごく影響を受けているな・・と思うことがあれば、親とのコミュニケーションにおいて、何が本質的な問題になっているかの整理が必要になってきます。そんな時に、コーチングがお役に立てるかもしれません。私自身、コーチングを受けるようになってから、親との関係やコミュニケーションを、より良い形に立て直すことができた一人です。