「いい人・いい子」をやめたい

メンタル

私自身、30年以上、
周囲に認められたくて、
「いい子・いい人」なろうと
努力してきました。

自分でも「優等生だった」と
自認しているくらいです。

  • 勉強して良い成績を取れば、褒めてもらえる。
  • 学歴がしっかりしていれば、バカにされない。
  • そこそこ良い会社に入れば、すごいって言ってもらえる。
  • SNSでみんなが羨む活動をすれば、いいね!がたくさんつく。

あげたら、キリがないですね。
でも、当時の自分になりきってみるのも、今は楽しいです。

こんな「認められたい」自分で
30年ほど、頑張ってきました。

それでも、常に何かが足りなかった。

足りないから頑張る、の繰り返し。頑張りはするけど、認められたらどうなりたいのか、自分がどんな人間になりたいのか、何をしたいのか、わからずにもがいていました。

いい子をやめるきっかけ

そしてこの数年で、
コーチングと出会い、衝撃を受け、
何かに突き動かされるように
自らもコーチングを実践していく中で、
30年以上、続けてきた
「いい子で優等生であろうとする自分」をやめることにしました。

自分がコーチになったから
「やめることができた」のではありません。

では、なぜ私は「いい子・いい人」を
やめることができたのか?

本当は、どう思っているの?

コーチングを受ける生活になったことで、

  • 本当はどう思っているの?
  • 本当に必要なことなのか?
  • 本当にわたし自身がやりたいことなのか?
  • 自分の描く「理想の仕事」ってどんなもの?

こういった問いを
自分に投げてくれる人がいたこと、
つまり自分がコーチをつけたこと
圧倒的に大きなきっかけです。

正確に言うと、
「いい子をやめた」というより「飽きた」に近かったですね。

「いい子」だった自分を、どう思っている?

そして、

「いい子にしていた自分」も、
今では私にとって、愛しい存在になっています。

感覚的に言うと、昔の大戦友という感覚です。

そりゃあもう、
親や周囲に認められたくて
すごいと思われる成績、会社、
肩書き、職歴、評価のために
残業も海外出張も厭わず、
心身を削りながら努力して
生きてきた時期もありました。

そうやって生きた頃の自分を
「バカみたい」とは思いません。
「書き換えよう」とも思いません。

「手放そう」を手放した

そんな「人の目や評価を気にして生きてきた」過去を
「手放す」という考えすら、手放しました。

だってさ、当時どんな動機だったにせよ、

努力した自分、徹夜した自分、
勉強や部活をがんばった自分、
先生や大人に褒められた自分
偉い人たちに評価された自分を、

「手放さなきゃ」って何よ?なかったことにするんですか?

当時の私にとっは、生存戦略だったんですよ。

「そんな自分は、間違いだった」
「他人に認められたくて、努力するなんてバカだった」
「共依存だった」「メンヘラだった」

そうやって過去の自分を分析しまくった挙句、
ダメだったとか、失敗だったとか、過去を書き換えようとか、
黒歴史みたいに扱うのではなく、

努力のおかげで、それなりの待遇も、
社会的恩恵も味わったし、
チヤホヤ褒められて最高に楽しかったし、
いいじゃない、どれも勲章。

当時は、それが必要だと思っていたからこそ、私は必死にやっていたわけです。

そんな満身創痍の自分、ねぎらってあげるのが、先ですよ。

「いい子」だった自分をねぎらう

今までは「みんなに認められるために」頑張った。

でも、これからは別のやりかたで生きる。
長い間、本当に本当にお疲れさまでした。

そんな感覚で、私は今を生きています。

 

ここからは完全に、私の妄想の世界ですが・・・

「いい人を演じて結果を出してきた自分」と
「いい人をやめた今の自分」、

拳をぶつけて抱き合って、長年の善戦を労い、選手交代。
満員のスタジアムは、歓喜とスタンディングオベーションです。

いい子の自分をやめたいなら、まず、
いい子の自分を盛大にねぎらってあげること。

自分の望む未来に向かう時、
過去を否定する必要も、
無理に手放す必要もありません。

悶々としながらでも、怖くても、
今は「いい人になってしまう自分」を抱えたままでもいい。


「それでも、これからはこう生きます」と決めて
明日からの行動を変えていく。
これが、自分らしく生きる未来への第一歩なのです。

投稿者プロフィール

金城文乃
金城文乃
メンタルブロックを自信に変えて
やりたいことを堂々と実現する自分をつくる

ダイヤモンドメンタル・発掘コーチ

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