質量転換について

プロコーチ仲間と月1回のオンラインミーティングをしながら、質量転換について考えた。

ある仲間の一人が、

「コーチング時間が70時間を越えたあたりで、コーチングと向き合う自分の意識が根底から変わった」

というようなことを話した。

ちなみにここで話しているコーチング時間とは、
「有料で、しかも単発ではない、継続契約を結んでいるクライアントとのコーチング」のこと。

彼のコーチングも、70時間あたりを境に変化したのだろう。音声のみなので彼の表情はわからずとも、彼の声のトーンや話しぶりからして、彼自身も変化しているのが伝わってきた。

声の傾聴だけでも、その人の内面の変化や、そのエネルギーが伝わってくる。オンラインミーティングで話すときには常にコーチングモードで話をしているわけではないが、コーチ仲間が集まると、自ずとそうなっているときがある。もう、筋力の一部みたいに染み付いているので、コーチングを真剣に学んできた人間が味わえる醍醐味ともいうだろうか。

***

彼に何が起こったのか考えたとき、「質量転換」という言葉が思い浮かんだ。

ある程度の量をこなすことで、それが質に転ずるという意味。コーチング時間を積み重ねたことで、その成果がコーチングの質に現れるようになった、ということでもあるし、それは確かなのだと思う。

ただそれ以上に、「量」が「質」に転換するときは、その人の意識や視界に広がる世界までも変わるのだろう。

逆に言えば、まずは量を無我夢中でこなさなければ、質に転じた世界を見ることはできない。

***

オフラインになってから、自分のこれまでを振り返ってみた。

目先の結果ばかりを気にして、愚直に続けることから逃げていたのではないか?

愚直に続ける時というのは、時として「自分に入ってくるものを限定する」ことが必要だと感じつつも、SNSで流れてくる「自分が目指したい場所へ、一歩先を歩いている人たち」を羨んで、時として妬んで、いいねして、それだけで終わっていないだろうか。

私は、自分の望む方向に向かって、愚直を体現しているだろうか。

「質」に転じた世界を見たいという好奇心がありながら、そこへ向かう「量」という道しるべを見失っていないだろうか。