「成果が出せなかった自分」を責めてしまう

コーチングでも、様々なセミナー、講座、教室の話が出てきます。そして、よくお聞きするのがこのテーマ。
今回は、私の例をもとにお話しします。

同時通訳者を目指して

以前、私は英語の同時通訳者になりたくて、英語の専門学校に通ったことがありました。
投じたのは総額80万円前後、期間にして1年半。

学校自体はとても良心的で、課題はとても厳しく、習いごと感覚の人はお断り、真剣に学びたい人だけが全国から来るような所でした。

 

プロ通訳者を何十人も輩出している学校のカリキュラムや講師の教鞭、姿勢は素晴らしいもので、スピード感に満ちた内容の濃い授業を必死に受けるものの、結果的に、私は同時通訳者として食べていけるレベルにはなりませんでした

定期的に受けていたTOEICスコアは900を超えましたが、数字に表れた成果はそれくらい。同時通訳が可能な英語力には、程遠いものでした。

 

多大なお金と時間を投じたにも関わらず、どうしてダメだったんだろう。やる気の問題なのか。まだ心の勉強など何一つやっていなかった頃ですが、当時の自分なりに必死に自己分析を繰り返しました。

そこで見えてきたのは、

「通訳としてどんな仕事をしたいか」
「通訳で何を成し遂げたいのか」

というビジョンを全く描いておらず、

 

「英語のできる自分を認めてもらいたい」
「英語を流暢に話す自分になってすごいと言われたい」
「だったら、すごいといわれるレベル、同時通訳になろう」

 

という動機だったのです。

その動力源は、
「自分は何も持ってない、何かスキルを身につけなければ認められない」という、社会人1年目に味わった無力感と焦りであり、

「自分には何も価値がない」という自己肯定感の低さが根底にありました。

留学経験のある家族や同僚に対する「英語コンプレックス」をずっと抱えていたのも原因のひとつでした。

 

このことを自分の中で認めるまでには、もちろん時間を要しましたが、通訳業界の厳しさを見ていたこともあって「こんな生半可な動機では、この世界で渡り合うのは無理だ」と潔く通訳の道をあきらめ、学校をやめ、転職活動を始めました。

もちろん、あっさり見切りをつけられたわけではなく・・学校をやめた当時は、長期的な目標も見失い、自分が本当にやりたいこともわからなくなり、「お金と時間を投じたのに、成果を出せなかった」という失意の気持ちでいっぱいでした。

英語以外に残ったもの

学校をやめたあと、それなりに上がっていた英語力を武器に、外資系企業に転職。部長秘書として、社員や本社とのやりとりは当然英語、短い通訳であれば引き受け、翻訳や代筆もこなす必死の日々。

英語力の足りなさで、脂汗をかき、悔しさが爆発しそうになったことは何度もありましたが、専門学校時代の、あの厳しい授業で体に染みついた「脳内で作文するな、口頭で英作文せよ」の教えが仕事の色々な場面で生きましたし、その後の転職にも大いに役立ちました。

でも、役立ったのはスキルだけではありませんでした。

「先生ならどうするだろうか」

仕事やプライベートで直面する問題に対して、専門学校時代の教えを思い出し、

「○○先生なら、こういう時どうするだろうか」
「あの学校なら、こう教えるんじゃないだろうか」

と、お世話になった恩師の顔や喋り口、教室の空気を思い浮かべながら、目の前の仕事の課題をどう動かすか、必死に考えるようになったのです。それがまた、楽しかった。

 

通訳レベルの英語力が付くという「成果」は得られなかったけれども、

  • 語学学習のコツや、
  • 相手のあるコミュニケーションの心構え、
  • 仕事に対するプロとしての姿勢、
  • 言語としての英語の面白さなど、

学校で得たものが、英語以外の色々な場面で、私の精神や思考に活きていると感じています。

 

ですので、

「お金や時間をたくさん投じたのに、成果につながらなかった」

という考えで自分を責めたり、
落ち込んでしまう時には、

 

「○○先生なら、今、何ておっしゃるだろうか」
「あの学びの場だったら、この問題にどう向き合うだろうか」

などなど、

当時の恩師や仲間、教室を思い出して、目の前の問題を別の視点から眺め、自分なりの考えを出してみることをお勧めします。

その答えが正しいかどうか、現実的かどうかを気にせずに、自由に発想してみるとよいと思います。その思考こそが「学びの成果」につながるからです。

「全く関係のなさそうな場面で、かつて学んだことを自由に応用する」ことも、あなたが得た「成果」の一つだと思いませんか?

入学前と卒業時での心の変化

英語の専門学校に入学が決まった当時の私は、「絶対に同時通訳者になる」と意気込んでいましたし、少しでも英語学習の時間を作ろうと、生活習慣を変えるほどに気合が入っていました。

そして学校をやめるときには「英語は好きだが、通訳を仕事にしたい訳ではなかった」という本心を必死に受け入れながら、「それでも英語でアシスタントならできる」と転職活動をしていました。

入学時と卒業時では、成果の有無にかかわらず、これだけ意識が変化したということです。実際に飛び込んでみたからこそ、わかったことであり、変化したことです。

 

その学校や講座で学んだ内容、スキルが、自分に本当に向いているかどうか、本当にやりたいことかどうかなんて、実際に飛び込んでやってみなければ、本当にわからない。

だからこそ、飛び込んでみてよかった。その一言に尽きます。これを腹の底から体感できたことが、学校への投資から得た最大の収穫であり、成果だと思っています。

あなたにとっての「成果」とは

通訳レベルの専門学校と言っていますが、生徒は英語のプロ通訳者を目指している人ばかりではなく、

  • 英語圏への海外赴任が決まった人
  • 外資系管理職の人
  • 店舗経営者
  • 育休中の主婦
  • 通訳ガイドを目指すおじいちゃん
  • 留学を控えた学生など、

多種多様な事情を持ち、英語上達に目的を持った人たちの集まりでした。なので、皆さん目標もバラバラで、トリプルクラウン(英検1級、TOEIC・TOEFL満点)を目指す人もいれば、「外国人客に対応できる英会話力」を目標としている人もいました。

もちろん、各々が目標としている姿が、その人にとっての「成果」なのだと思いますし、一方で学校としては、大きなビフォーアフターを遂げた生徒を「成果を出した生徒」として外向けに紹介するのは自然な流れです。学校がビジネスとしてやっている以上、これは必然だと思っています。

 

あなたがその学校で得たかった「成果」とは何なのか。

そして「今」感じている成果は何だと思うか。

他人の言う「成果」に振り回されてはいないか。

 

その学びの場から時間と距離を置いた今だからこそ、考えてみても良いかもしれません。あなたの「成果」は、あなたが決めてよいのです。

もっと頑張ればよかった、こうすればよかった、という反省会をするのではなく、「あの学校で自分が得たものは何だったか」と考えてみる。抽象的な答えでもよいのです。教室で苦楽を共にした仲間を得たことかもしれないし、習慣化のコツかもしれないし、感情を激しく揺さぶられた経験かもしれません。まずは自由に出してみることです。

それでもやっぱり、成果になったかどうか、どうしてもジャッジしてしまう。それでも大丈夫。それだけあなたは「成果というものに、自分の価値観を持っている」という見方をすることもできます。

「点」から「線」へ

成果を出せなかった自分はダメだ、と悲観するかわりに、今「その学びが、自分をどう生かしてくれているか」を問い続けること。答えが出たら終わりではなく、数年経ってみたら、また違うものになっているかもしれない。それで良いのです。

それを繰り返していくことで、学びで得たものが「点」ではなく「線」となって、今後のあなたの人生に生き続けることでしょう。