コーチングと武道

武術家である友人と話をしていて、自分の中から出た言葉に思わずハッとすることがあった。

 

コーチングは、武道に近いものかもしれない。

 

あくまで私個人の解釈で、と断った上で書くと、

武道における(対戦)相手との対面の場では、相手に対する最大限の「礼」が必要不可欠。

たとえスポーツという形になっても、相手への敵意や憎悪で取り組める競技ではない。

 

そこにあるのは、相手への絶大なる信頼だ。

 

双方の無意識に、その基盤があるからこそ、相手に敬意を払い、全力で対峙し、互いに一切の遠慮なし、手抜きなし、躊躇なしの空間を、相手と共に「今この瞬間から」作り上げていくことができる。

 

コーチングにも、流派はあれど、その精神は武道と共通するところがある。

まず、相手への絶対的な信頼と敬意。

これ無くして、コーチングの関係は成り立たない。

 

「人は生まれながらにして、欠けるところのない存在である」という揺るぎない信念のもとに、相手の言葉や表情、動きを空間全体で捉えながら、その人全てに焦点を当てていく。

決して、相手の「欠けているところ」をコーチングで探究していくわけではないのだ。

 

それは過去の記憶や未来への予測や懸念からではなく、「今この瞬間」から創り上げていく「空間」であり「時間」である。

そこには、相手からの信頼と、やはり「この場を共に創り上げ、前に進みたい」という互いの強い願いがなければ成り立たない。

 

時として相手が聞きたくないであろうこと、目を背けてきたことも、コーチは容赦なく言葉にする。

相手のため、というよりも、今、相手の中に起こっている感情と本気で対峙し、一切の遠慮なし、手抜きなし、躊躇なしで向かい合うことができなければ、相手の「本質的な変化」へと繋げていくことはできないと知っているから。

 

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私は学生時代に空手を学び、極めたとは言いがたいレベルで遠ざかってしまったけれど、「礼に始まり礼に終わる」場で叩き込まれた、武道の精神のなんたるかの片鱗が、脳裏にしっかりと残っていた。それがコーチという立場に変わっても生きていたと感じられたことが、素直に嬉しかった。

今日、たまたま会話の中から、自分が体を張って取り組んできた二つのことー過去の点と現在の点が繋がったような感覚を味わうことができた。

 

精神とは生命のように不可解で、形状不安定だが、最後は本質の核だけが魂に生き続け、人生の糧になっていく。