向き不向きなんて、やってみなければわからない

メーカーの製品サイトを担当して1年。

製品の良いところや特長、使い方を書くのは、専門知識がついてくることで、確かに「書きやすく」はなったけど、楽しいかどうかは、別です。キッパリ!

「できること」がかならずしも「やりたいこと」ではない好例となりました。

サクサクこなせるけど、ワクワクはしない。

なぜか。

私の場合、そこに「人」がいないからです。

何に光を当てたいのか

もちろん、私が常に意識しているのは、「製品を使う人のことを考えて書く」ということなので、書く視線の先にあるべきは、もちろん「人」。

メーカーとして蓄積したデータはありますから、こういう用途の人、こういう現場で使う人、こういう結果が欲しい人・・を何通りも想定して、「製品知識がまったくない、これから初めて使う人」になったつもりで、「たとえ小学生のユーザーであったとしても」わかるように書くことを意識しています。

でも、結局は「製品」が主人公のお話になるので、やはりモノについて書くのはあまり心躍らないんだ、とわかりました。

モノの生みの親である「作り手」にスポットを当てて書くのは好きです。

ただし、メーカーという立場で、製品サイトという場に出す以上、「ユーザーの欲しい情報」としてのニーズ度合いからすると、優先順位が下がってしまう。

重要なのは、私自身がそこまで、この製品に愛着があるかというと・・・ない(笑)これが結論のキモでしょうね。ここは、自分自身がその製品をどれだけ好きか、というところでも違ってくるのかもしれません。

 

やはり私は「人」について書くのが好きなのだとわかりました。

人の作る有形無形のサービスを紹介するのが好きなのも、作った人や、これから必要としている人のことを思い浮かべるのが好きだから。

きっと、人の描く未来が見たいんだと思います。

そこに「正しいかどうか」「現実的かどうか」「結果がでるのか」などの視点は、あまり意味をもちません。

作り手が、その製品やサービスにどんな未来を託したのか。

どんな未来を描く人に、その商品を届けたいのか。使ってほしいのか。

人から、人へ。そこに光を当てて、世に届けたいんだと思います。

モノについて書けるのは、自分が心躍るモノなら書けるかな、という感じです。

理屈ではなく体感覚で、好きと言えるか

こういう結論が「頭ではなく体感覚で」出せたのも、

苦手意識や経験不足、というバイアスをあえてかなぐり捨て、自分の手を動かして、まずはやってみたからこそ。

ある程度の時間と手間をかけてでも、その先に見つけることのできた、自分の特性です。

やはり「やってみないとわからない」というごくごく当たり前の結論。

 

これをすっ飛ばして「私にどんな適性があるのか、結果だけ先に教えてよ!」というニーズが席巻する今の世の中。

たとえ望みどおりに即、知れたとしても、中身が伴ってないことが多いんですよ。というか、中身がついてきていない感じになります。

まず、ハラ落ちしないよね。手も体も動かしていないから

結果だけ見て「確かに理屈に叶ってるし」と頭では理解したけど、

その結果に納得「しよう」としたり「じゃあ、これからどうしたらいいの?」という感じで迷子になっているのは、

「行動が伴っていないから」ではありませんか?

それ、実際にやってみましたか?

 

短期間でもいいから、まずは何でもやってみること。

好きか嫌いか、自分の向き不向きの結論を出すのは、それからでもいいんです。

「やりたいこと探し」の無限ループから抜け出したいときも、同じです。

とにかくまず手をつけてみる。初めてみる。見切り発車でもいいんですよ。

無駄になることなんて、何一つありません。

「まずはやってみる」。ごくごく当たり前のことですが、私自身が、このことの重大さを改めて体感しました。