人生

ひとこと、悔しい!

自分の力ではどうにもならない「理不尽」が重なって、いま非常に悔しい思いをしています。

こういう時、私は「分析思考・問題解決思考」がとても強いので、
感情を脇に置いて、因果関係とか、再発防止策をひたすら考える傾向があります。
それも正しい。仕事ならそれで回るから。

でも、今回は「この野郎・・奈落の底まで行ってやろうじゃないの・・・w」という、打ちのめされた末のおかしな実験欲と怖いもの見たさ、同時に
「この悔しさ、絶対に忘れるな!!」という鋭く強い怒りもあって、
「棘と毒っ気のある強い甘み」を恐る恐る味わってやろうじゃないの、という妙なところにいます。仕事中です。

色で表すと、
腐ったオレンジとアケビのような鮮やかな紫、そして漆黒が混ざったような感じ。まるでハロウィン仕様です(笑)流血はナシで。

こいつらを底の底まで感じきって、奈落の放物線の底にしっかり手をついてから、初めて「さて、どうする?」と整理していきたいのです。

 

当時はオフィスにいたので、あまりの悔しさに、トイレに行くたびに壁の一枚でもぶち抜きたくなる衝動に2回くらい駆られたけど、それが「理不尽」を前に自分の中に起こっている、偽りのない反応だと感じたし、それを俯瞰的に、良し悪しのジャッジを入れる事なく、クリアに検知することができた。

そういうネガティブな感情ほど、平然と感じなくなることが一番怖いからね。
(それを表に出すかどうかは、また別の話です)

仕事は、そのイライラ感を逆噴射する勢いで、一気に終わらせました(笑)

 

さて、悔しい感情を感じ切るとか、奈落の底の底まで行くとか、
なぜこんなことをするかというと
実はそれが私にとって、次に進むための最短ルートだから。

理性で蓋をして、解釈や意味づけを一生懸命やったり、
甘いものやお肉やお酒で満たしたり、何日もモヤモヤするのもいいけれど。
一気に感情の底まで駆け抜けるほうが、
瞬間的に大きなエネルギーは必要とするけど、回復も早いのです。

そして次に進みやすい。行動に移る時間も早いし、他のことへの影響も少ない。

強い激しい感情というのは、感じた瞬間は不快なものですが、
その感情の放物線の底をついてみないと、わからない境地がある。
でも、実はそれが最強の上昇エネルギーに変わることがある。

放物線じゃなかったかもしれないし、そこでどんな視界が待っているのか、わからないのがまたスリル。・・怖いけど。
きっとそれを感じ尽くしたいのだろうし、その先にある未来を信じているんだと思います。・・怖いけど!

感じきる方法は色々です。コーチングのクライアントさんには、実践としてお伝えすることもあります。

ここまで書いて、自分が、好奇心の塊のような人間だと改めて呆れていますが、
ここまで書いただけでも、昼頃にあった激しい感情は、ちょっと質感が変わっています。

だから面白い。人生は全て実験。
これも私のライフワークのひとつなんだと思います。

プロコーチとして、学び続ける。

自分史、編纂中!

こんにちは、金城文乃です。

今、ある取り組みのため、自分の幼少期からの出来事、感情、学んだことなどを【全て】書き出す作業に没頭しています。

転校などの大きなイベントだけでなく、友達に言われたことなど、記憶の限りを絞り尽くして書き殴っています。

実際、書き出してみると、どんどん思い出すものですね。

そして、まぁー出てくるわ出てくるわ出てくるわ、
当時の生々しい光景や、味わったエグい感情、叫んだり不貞腐れてる小さな私が、これでもかと。

その時は「言葉にできずにいた得体の知れない奴」だったのが、
今の自分なら言語化できたり、タラレバを入れずに客観的に見れるようになっていて「これが大人になったってことかっ!」と妙なテンションになりながら、ランチも惜しんで取り組み中。

けっこうエグい、でも良薬

思い出を活字化するのは甘酸っぱくもあるけど、気持ちいい、楽しいだけの作業じゃないんです。

脳って、生存本能としてポジティブな出来事を優先的に記憶して、命の脅威となりうるネガティブなことは忘れるように出来ているといいますが、実際に思い出すことは、楽しいとか嬉しいことばかりじゃないんですよ。叱られたこと、恥ずかしい思いをしたこと、言われて嫌だったこと、理不尽なこと、気に入らなかったこと・・記憶とセットでもれなく付いてくる感情もすくい取るので、エグいし、文字として掘り起こすだけで凄まじいエネルギーを使うときもある。

なんせ、小学校時代だけで書き終わるのに2日かかりましたし、見直しているときに突然別のことを思い出して追加したりしていて、エンドレス。

でも、これ自体も、今の私にとっては「学び」なのです。

プロコーチこそ、学び続けろ

2018年7月に、プロフェッショナル・コーチの資格を取得しましたが、資格を取っったからといって、学びは終わりません。

自分がクライアントだったら、何歳になっても学び続け、問い続けている姿勢が伝わってくるコーチにこそお金を払いたいですね。

プロコーチとしての学びの一環として「これまでの人生」を総ざらい文字化しています。

これをしっかりとカタチにして、皆様にお届けする日も近い。

楽しみにお待ちください。

 

Nobody knows you

今日から、とある学びの場に参加しています(有休で)。

 

学びの内容についてではなく、そこであらためて感じたこと。

 

「共通言語を捨てた自分が、何を伝えられるか」
「自分の生き方を、初心で伝えられるか」

 

全員が初対面で、誰も自分の顔も名前も経歴も知らないし、
そこに業界用語を盛って説明したら白けてしまうような場で、自分のやっていること、生き方をさらけ出すということを、最近やっていなかったな、と愕然とした。

 

内輪話ができる場は、確かに安心で楽しいです。
自分も相手もお互いによく知っていて、共通言語もあるし、
誰かに喜怒哀楽あれば、手放しで祝い、花を手向け、涙を流し、手を差し伸べることだって出来る。
ただ、居心地が良くなるぶん「いつまでもこの状態が続いて欲しい」とお互いが無意識に願うようになるので、刺激は少なくなるし、成長のスピードや度合いが似たり寄ったりしてくる。
良い悪いではなく、そういう場に長く留まると、だんだん落ち着かなくなるのが、私の性癖。

 

SNSでも、リアルでも、
自分の見ている世界なんて、この世界の99%以上の人は知らない。
自分が見ている景色に入り浸り続けると、そこが世界の標準に見えてくるし、自分の知っていることは、他人も知っているはず、と錯覚してしまいがち。

 

今回、久しぶりに「内輪ネタの通じない」場に飛び込んだので、刺激はあるし新鮮だし、初心に戻るべきは受講生でなくオマエだ、と「場」に言われている気がして、身が引き締まる思い。いい緊張感です。

 

互いに与え合う良質な刺激と緊張感。これも、人生を面白く豊かにするためには欠かせない。

これからの二日間、自分に課したのは、
「共通言語を捨てた自分が今、伝えるべきことは何か?」を常に意識すること。

 

もちろん、そういう場で一日過ごすのは、楽しいばかりではないし、心も体力も消耗するよ。
でも、その場に自分の時間という「命」を使う選択をしたのは自分だし、この場だけに限らず、
「自分の命を何に使いたいか」をとても強烈に意識するようになった。

 

そのために日々、他のどうでもいいことで消耗しないために、
家事に時間をかけるのをやめるべく投資し、
SNSのダラダラ見をバッサリ止める仕組みを作り、
3日以上読まなかったメルマガは全て解除した。
これはごく一部のDoingに過ぎないけれど。

 

誰も私のことを知らない。
「初心に還る」とは、ここを受け入れることから始まると思う。