仕事

中身で勝負したければ、見た目にも気を使う

展示会の自社ブースに立ち、製品のプロモーションをやる機会がありました。

その展示会で一番目についたのが「イベントコンパニオン」の女性たち。
(撮影NGなので、写真はありません)

時代錯誤だとか、女性蔑視だとか、不要論も出てきているとはいえ、
3日間、現場で見ている限り、ノベルティを手にした彼女たちが立つことで、客はブース前で足を止めるし、
その存在によって集客効果を高める仕事であることは、間違いないと感じました。

彼女たちはプロフェッショナル。
容姿端麗、小顔で美人、可愛いのは標準で、タイトなコスチュームを難なく着こなし、
常に笑顔の状態で、凛と立ち続けること数時間。
ノベルティーのスマートな手渡しだけでなく、顧客情報や名刺をもらう所作に抜かりがない。

企業によっては、製品の説明までこなす女性、
鮮やかにプレゼンターをこなす男性コンパニオンなどもいて、
(これがまたイケメン!!)

こちらも仕事をしているので、
あまりジロジロ見ないようにしていたのですが(笑)
顔やスタイルの良さに惚れ惚れしながら、「目を引く」存在として仕事を全うする姿を拝ませて頂きました。

美しい人は、性別や職業に関係なく大好きなので。

中身で勝負したいなら

これは容姿を活かした仕事の例ですが、どんな仕事も、見た目は大事。

整形や美容に投資すればよい、
ブランド物をまとえばよいという意図はありませんが、

「人に好印象を与える」
「興味を持ってもらえる」
「相手との良いコミュニケーションにつなげる」

ために、自分の見た目に気を遣う努力は、どんな仕事でも、惜しんではいけないものだと思っています。

 

外見や身なりを疎かにしている人は、その時点で、中身にすら興味を持ってもらえないのが現実です。

外見や身なりへの気遣いで、自分に自信がつきますし、人からの扱われ方も変わりますよ。

自分の中の「合わない」を無視するな!

仕事が合わない、洋服の色が合わない、この人とは合わない、雰囲気が自分に合わない、話が合わない、趣味が合わない。

あなたが今感じている「合わない」は何ですか?

「合わない」はネガティブなことではない

「合わない」ことは、悪いことでも、残念なことでもありません。

ただ「パズルがちがう」だけ。

能力が低いことでも、メンタルが弱いことでもありません。社会人として云々でもありません。「合わない」ことを次の行動の理由にするのは、わがままでもなんでもない。

たとえば「職場の社風が合わない」ことを理由に転職するのは、しないで何年も我慢し続けるよりはるかに健全です、精神的にも、肉体的にも。

ここでは、「仕事が合わない」を例に話をしますね。

合わないのか?慣れないのか?

よく聞かれるのが、「合わない」のか、「慣れていないだけ」なのかを、どれくらいの期間があれば見極められるのか?ということなんですが、

一様に「何年です」と言うのは不可能です。

ただ、一つの目安として、

仕事に慣れて、一通りのことを自分で出来るようになった頃でしょうか。

その仕事に慣れてきて、心に余裕がでてきた頃になっても、

  • 毎回やるたびに憂鬱に感じたり、
  • どこか「やらされ感」がある、
  • 言われた通りのこと以外はやらない、
  • その仕事に関連する話題に興味がもてない、

のであれば、自分に「合わない」ことをやっているかもしれません。その感覚、覚えておいたほうがいいです。

「石の上に三年」も心身を削るな

あ、自分には合わないんだ、とサクッと認めることができる時もあれば、なかなか認めたくなくて、「自分に原因があるんだ」「自分が未熟なんだ」と頑張ってしまうときもある。

それを挽回しようと、仕事に対して様々な工夫をしたり、自分の考え方を変えてみたり、得意な人や専門家に相談したり、勉強したりする努力は、もちろん悪いことではありません。

「石の上にも三年」などどいって「まずは三年ぐらい我慢してやってみろ」と言ってくる人もいます。

が、わかっているのに何年も、合わないことを耐えて頑張ることはお勧めしません。

自分に合わないことをやりつづける、合わない環境に居続けることは、精神的にとても負担が大きく、やがて身体面にもじわじわと影響が出始めます。

そうなってから動くのはとても大きなエネルギーが要りますし、すでに消耗しきっていますので体力、気力を出すのも大変です。

「合わない」ことにフタをしつづける最大のデメリットは「マヒしていく」という恐ろしい結果しかないことです。

マヒしていくにつれ、自分がフタをしていることへの「正当な理由」が欲しくなります。そうでないとやってられない。

仕事なんだから仕方ない、お金のため、家族がいるんだから、男ならそれくらいやるもの、みんなやってる。そうやって自分の中に理由を並べていくうちに、何が自分に合わないのか、合うのかも、どんどんわからなくなっていきます

果ては

「今の仕事は好きじゃないけど、自分に合う仕事が何なのかわからない」

「このままでいいのかわからない」

という状態。そこからまた「やりたいこと探し」の無限ループ。

 

そうならないための一番の方法は、とにかく「合わないものから離れること」です。

仕事なら、業務内容を変更してもらう、異動する、転職する、働きかたを変える、引っ越す、などなど「合わないものから離れる」ことです。

 

私の例を一つ。

私は以前、シフト勤務で働いていたことがありますが、この「シフト勤務」という働き方が全く合わなかったのです。

入社前に、不規則な曜日勤務になることは聞かされていましたし、それを承知で入った会社でしたが、実際にその生活になってみると、仕事内容は面白かったものの、生活リズムが不規則になり、家族と休みを合わせられず、休暇を取りたい時には、日程調整のために色んな人に頭を下げなければならなかった。これがとてもストレスになりました。

どんなに休養を取っても疲労が抜けない日々が続き、やがて胃腸機能が低下。慢性疲労症候群を疑って医者を何軒か訪ね歩いたほど。

結局、2年も経たずに転職を決めました。

仕事内容は面白く、貴重な経験も多くさせていただいて、転職を決めるまでに何度も躊躇しましたが、転職した途端に、それまでの慢性的な疲労があっさり抜け、健康診断結果の数値が正常に戻りました。

 

この経験から得たものが、その後の働き方や収入に大きな布石くれたので、続きを書きたいと思います。

向き不向きなんて、やってみなければわからない

メーカーの製品サイトを担当して1年。

製品の良いところや特長、使い方を書くのは、専門知識がついてくることで、確かに「書きやすく」はなったけど、楽しいかどうかは、別です。キッパリ!

「できること」がかならずしも「やりたいこと」ではない好例となりました。

サクサクこなせるけど、ワクワクはしない。

なぜか。

私の場合、そこに「人」がいないからです。

何に光を当てたいのか

もちろん、私が常に意識しているのは、「製品を使う人のことを考えて書く」ということなので、書く視線の先にあるべきは、もちろん「人」。

メーカーとして蓄積したデータはありますから、こういう用途の人、こういう現場で使う人、こういう結果が欲しい人・・を何通りも想定して、「製品知識がまったくない、これから初めて使う人」になったつもりで、「たとえ小学生のユーザーであったとしても」わかるように書くことを意識しています。

でも、結局は「製品」が主人公のお話になるので、やはりモノについて書くのはあまり心躍らないんだ、とわかりました。

モノの生みの親である「作り手」にスポットを当てて書くのは好きです。

ただし、メーカーという立場で、製品サイトという場に出す以上、「ユーザーの欲しい情報」としてのニーズ度合いからすると、優先順位が下がってしまう。

重要なのは、私自身がそこまで、この製品に愛着があるかというと・・・ない(笑)これが結論のキモでしょうね。ここは、自分自身がその製品をどれだけ好きか、というところでも違ってくるのかもしれません。

 

やはり私は「人」について書くのが好きなのだとわかりました。

人の作る有形無形のサービスを紹介するのが好きなのも、作った人や、これから必要としている人のことを思い浮かべるのが好きだから。

きっと、人の描く未来が見たいんだと思います。

そこに「正しいかどうか」「現実的かどうか」「結果がでるのか」などの視点は、あまり意味をもちません。

作り手が、その製品やサービスにどんな未来を託したのか。

どんな未来を描く人に、その商品を届けたいのか。使ってほしいのか。

人から、人へ。そこに光を当てて、世に届けたいんだと思います。

モノについて書けるのは、自分が心躍るモノなら書けるかな、という感じです。

理屈ではなく体感覚で、好きと言えるか

こういう結論が「頭ではなく体感覚で」出せたのも、

苦手意識や経験不足、というバイアスをあえてかなぐり捨て、自分の手を動かして、まずはやってみたからこそ。

ある程度の時間と手間をかけてでも、その先に見つけることのできた、自分の特性です。

やはり「やってみないとわからない」というごくごく当たり前の結論。

 

これをすっ飛ばして「私にどんな適性があるのか、結果だけ先に教えてよ!」というニーズが席巻する今の世の中。

たとえ望みどおりに即、知れたとしても、中身が伴ってないことが多いんですよ。というか、中身がついてきていない感じになります。

まず、ハラ落ちしないよね。手も体も動かしていないから

結果だけ見て「確かに理屈に叶ってるし」と頭では理解したけど、

その結果に納得「しよう」としたり「じゃあ、これからどうしたらいいの?」という感じで迷子になっているのは、

「行動が伴っていないから」ではありませんか?

それ、実際にやってみましたか?

 

短期間でもいいから、まずは何でもやってみること。

好きか嫌いか、自分の向き不向きの結論を出すのは、それからでもいいんです。

「やりたいこと探し」の無限ループから抜け出したいときも、同じです。

とにかくまず手をつけてみる。初めてみる。見切り発車でもいいんですよ。

無駄になることなんて、何一つありません。

「まずはやってみる」。ごくごく当たり前のことですが、私自身が、このことの重大さを改めて体感しました。