それ、本当に必要?必要だった?

平成最後の12月。

忘年会やパーティ、送別会など

お誘いも増えるシーズンになりました。

そんな年末ですが、

「それは、本当に必要?必要だった?」

を問うのに絶好の機会です。

 

モノだけでなく、こういったイベントや、

人間関係、自己投資してきたことなどです。

私の知人で

「忘年会に出ないといけないが、気が進まない」

という人がいたので、

そんな時の対処法をお伝えしますね。

 

よくよく話を聞いてみると

「大人数の飲み会が、
そもそもあまり好きではない」

「欠席を伝えると、
人間関係が悪くなるんじゃないかと
気にしてしまう」

とのこと。

確かに、欠席を伝えて相手の顔色が変わったりすると

「やっぱり行った方がいいのかな」と

モヤモヤしてしまうこともあるでしょう。

 

さて、ここからです。

あなたが本当に見直すべきは、

「気の進まない忘年会に出ること」以上に

「自分の意思を出すことを躊躇してしまうような人間関係」

そっちの方ではないか?

と疑ってみることです。

「そんな人間関係は必要ない。切りましょう」

と結論づける話ではありませんので、

どうぞご安心を(笑)

 

普段からその人の意見に振り回されているところはないか?

自分が、その人に気を遣っていることはないか?

それはなぜか?

これからも、それを続けたいだろうか?

 

などなど、

ご自分とその人たちとの関係や、

ご自身の振る舞いなど

色々と思い出してみることです。

 

このように

「自分の意思で選び、決めたこと」

を行動に移していくことも大事ですが、

決めて、行動した「後」に起きる問題や、

人間関係の変化などのほうが

「今の自分にとって必要かどうかを考えるべきは、

本当はここだったのでは?」

というポイントだったりします。

 

これを日々、繰り返していくことで、

やりたいことができる時間やお金が増えたり

決断のスピードが早くなり、

目標も立てやすくなります。

 

何より「自分で選び、決めた」ことは

自信につながるので

すっきりとした気持ちで、

新年を迎えられることでしょう。

新しいことも始めやすくなります。

ぜひ、12月のうちに試してみてください。

 

それでも・・・

一人だと、堂々巡りしてしまい、

何が自分にとって必要なのか、必要ないのか、

大事なのか、わからなくなっている。

決めることに自信が持てない。

そんなときに、コーチングを使ってみるのも一つの方法です。

「そんなの自分一人で見つけるもの」
「人に聞いてもらうなんて甘え」

と言いつつ、同じところをぐるぐる回っていると感じたら、

コーチングを使ってみてください。

体験してみる

心を整えたければ、体を大事にすること

私の好きな言葉の一つに、
仏教用語の「心身一如」があります。

からだとこころは一体であり、
切り離して考えることはできない、
という意味です。

体の調子が良くない、
食事が不規則だったり偏食だったり、
睡眠不足だったり、
いつもどこか疲れていそうな人が、
どれだけ素晴らしいコーチングや
カウンセリング、セラピーを受けて
「心を整えよう」としても、
その心を受け入れる「身体」を大事にしないかぎり、
コーチングの効果は半減してしまいます。

逆に考えれば、
コーチングと同時並行して、
せっかくだし体も大事にしよう、
早く寝よう、食習慣を見直そう、
などなど、
「体をいたわる」意識をもつだけでも、
コーチングを受ける効果はかなり変わってくるはずです。

心を整えたい、
メンタルを強くしたい、
仕事や人間関係のモヤモヤをなんとかしたい、という方は、ぜひご自身のからだにも目を向けてみてください。
食事は、睡眠は、十分にとれていますか?


これはコーチの側にも言えることでして、食事が乱れていたり、睡眠不足の状態では、コーチングの品質は確実に落ちますし、そんな状態でクライアントさんにお出しすることはできません。(どんなに誤魔化しても、クライアントさんに伝わりますから。)

私はコーチングをするようになってから、体調管理にはこれまで以上に敏感になり、行動もかなり意識して変えています。今も現在進行形で、試行錯誤しています。

理由はただ一つ、
せっかく来てくださったクライアントさんと、常に最高のコンディションで、コーチングをしたいと思っているからです。

自分の体のケアもできていないコーチやカウンセラーに、お金なんて払いたくないですよね。

食事や栄養面で、その道のプロに助言をもらいたい、というクライアントさんには、栄養学の専門家をご紹介することもあります。

行列の絶えないコーチやカウンセラー、セラピスト、講師業・・などの先輩方をみていますと、食べ物や睡眠、運動などに気を遣い、体のメンテナンスや休養にしっかりと投資されている方が圧倒的に多いです。

メンタルが非常に安定しているとお見受けする人をみると、やはり健康面に気をつけておられます。

心を整えたい、という願いがあるならば、ご自身の周りで、心が安定していそうな人、安定させるための方法を知っていそうな人を見つけて、その人の行動や食事、健康法を聞いたり、真似してみるのも良いですね。

ひとこと、悔しい!

自分の力ではどうにもならない「理不尽」が重なって、いま非常に悔しい思いをしています。

こういう時、私は「分析思考・問題解決思考」がとても強いので、
感情を脇に置いて、因果関係とか、再発防止策をひたすら考える傾向があります。
それも正しい。仕事ならそれで回るから。

でも、今回は「この野郎・・奈落の底まで行ってやろうじゃないの・・・w」という、打ちのめされた末のおかしな実験欲と怖いもの見たさ、同時に
「この悔しさ、絶対に忘れるな!!」という鋭く強い怒りもあって、
「棘と毒っ気のある強い甘み」を恐る恐る味わってやろうじゃないの、という妙なところにいます。仕事中です。

色で表すと、
腐ったオレンジとアケビのような鮮やかな紫、そして漆黒が混ざったような感じ。まるでハロウィン仕様です(笑)流血はナシで。

こいつらを底の底まで感じきって、奈落の放物線の底にしっかり手をついてから、初めて「さて、どうする?」と整理していきたいのです。

 

当時はオフィスにいたので、あまりの悔しさに、トイレに行くたびに壁の一枚でもぶち抜きたくなる衝動に2回くらい駆られたけど、それが「理不尽」を前に自分の中に起こっている、偽りのない反応だと感じたし、それを俯瞰的に、良し悪しのジャッジを入れる事なく、クリアに検知することができた。

そういうネガティブな感情ほど、平然と感じなくなることが一番怖いからね。
(それを表に出すかどうかは、また別の話です)

仕事は、そのイライラ感を逆噴射する勢いで、一気に終わらせました(笑)

 

さて、悔しい感情を感じ切るとか、奈落の底の底まで行くとか、
なぜこんなことをするかというと
実はそれが私にとって、次に進むための最短ルートだから。

理性で蓋をして、解釈や意味づけを一生懸命やったり、
甘いものやお肉やお酒で満たしたり、何日もモヤモヤするのもいいけれど。
一気に感情の底まで駆け抜けるほうが、
瞬間的に大きなエネルギーは必要とするけど、回復も早いのです。

そして次に進みやすい。行動に移る時間も早いし、他のことへの影響も少ない。

強い激しい感情というのは、感じた瞬間は不快なものですが、
その感情の放物線の底をついてみないと、わからない境地がある。
でも、実はそれが最強の上昇エネルギーに変わることがある。

放物線じゃなかったかもしれないし、そこでどんな視界が待っているのか、わからないのがまたスリル。・・怖いけど。
きっとそれを感じ尽くしたいのだろうし、その先にある未来を信じているんだと思います。・・怖いけど!

感じきる方法は色々です。コーチングのクライアントさんには、実践としてお伝えすることもあります。

ここまで書いて、自分が、好奇心の塊のような人間だと改めて呆れていますが、
ここまで書いただけでも、昼頃にあった激しい感情は、ちょっと質感が変わっています。

だから面白い。人生は全て実験。
これも私のライフワークのひとつなんだと思います。

あなたの価値を下げるNGワード(1)

会社員でも、個人ビジネスでも、どんな仕事をする上でも「それ言ったらアカンでしょ」というNGワードがあります。言えば言うほど、使えば使うほど、あなたの価値を下げてしまう言葉。

尊敬する方の言葉の中に「自分の言葉が、世界を作る」というものがあります。人間は、自分が発した言葉どおりの結果になるよう、行動しているというもの。

脳科学分野でも同じような研究結果が出ているようなので、エビデンスとなる論文を見つけたら英語だろうが読んでみて、またこちらで紹介したいと思います。

さて、そんな「あなたの価値を下げるNGワード」第一弾。かなりビジネス目線になっていますが、仕事や収入の大小に関わらず、働き方に関わらず、言えることだと思います。

「まだまだ勉強中でして」

ドキッとした方。まぁお付き合いください(笑)

「自分はまだまだ勉強中でして・・」いやはや、学校や講座に通っている人、資格を取るべく勉強中の人、あるいは、入社早々にお客様の相手をする場に放り出された人に多いですね。

学んでいる姿勢をアピールしたい気持ちはよーーく解りますが、それは自分目線、自己都合にすぎません。

相手は、お金や時間をかけてでも、あなたの商品や、あなたのもとに来る価値を得たいのであって、あなたが勉強中か否かはどうでもいい情報

これは個人ビジネスでなくても会社員でも言えることで、専門知識やビジネスを増やすべく日々学ぶ姿勢で居続けるのは当たり前。でもお客にとって、窓口に立ったあなたはプロなのです。

一つの例で考えてみます。

重要な会議があるのに、パソコンが急に動かなくなった。大至急サポートセンターに電話をかけたら、対応した人が「自分はまだまだ勉強中でして・・」とか言ったらどうよ?

教育がしっかりしているコールセンターならば、入社1日目の人だろうが、そんなことは電話口で絶対に言わない。どうしても自分の知識で対応しきれない案件なら「わかる者に確認します」といって自分のところでうだうだ時間を取らせない。お客からしたら、その人¥はプロであり専門家として電話に出ているのだから。

発展途上アピールは、自己擁護でしかない

それに、「勉強中」という発展途上アピールは、わざわざ自分から、相手との間に上下関係を作っているようなものです。当然自分は「下」ですね。それって「勉強中だから多少の失敗は許してもらえるだろう」という相手への甘えであり不敬なんです。

相手によっては「この人で大丈夫かな・・」と不安になったり、「なんだ、勉強中の人にこの金額を払わなきゃいけないの?」という上から目線にすらなる人もいる。そうなると、ビジネス以前に信頼関係がグラグラになります。「勉強中アピール」は、お互いにとって良いことは何一つありません。

「まだまだ勉強中でして・・」
その言葉、誰のために言ってますか?

勉強中なのが事実だとしても、資格取得のための特訓中であっても「勉強中」を言い訳に使わない。

私なら、せめて「この学びで得たことを日々商品にアップデート中です」くらいに、お客さんが現在進行形でメリットを感じられる言い方にします。

この人の勉強の成果を、この人の商品から享受できるんだな、と思ってもらえるような表現にします。

何よりも、「勉強中でして・・」の言い訳は「いつまでも自分のレベルは発展途上である」と自らの脳に言い聞かせているようなものです。

そんな気持ちで何年勉強しても、脳は「発展途上の姿がゴールなのね」と解釈してしまい、そうなるように行動する。だからいつまでも、あなたは勉強中レベルのままなんじゃないでしょうか。

まだまだ自信がない。でも自分の価値を下げる言葉の代わりに、どうしたらいいでしょうか。

なりきる。

お客様の前に出た以上は、どれだけ修行中の身であっても、入社1日目でも、「自分はもうプロ」となりきってしまうことです。「フリをする」でもいい。もう何年もその仕事をやってきた経験豊富なベテランのように振る舞う。

わからないことは、わからないとはっきり伝えるか、「わかる者に確認します」と言って仲間に助けを求める。

「うーん・・・・」などと唸って無駄な時間をとられるのが、お客さんや取引相手は一番不快になります。すぐに答えられなければ、それは知識になっていないということ。

最初は自分に知識やスキルが足りないのが見え見えで、なりきれずわざとらしくてバカバカしくなるかもしれません。とてもザワザワすることでしょう。

でもそれは「勉強の成果が出た未来の自分の姿」を自分で拒否していることでもあるんです。それって悲しくはありませんか?

最初は、変な感じかもしれない。それでもなりきってください。そのうちに、脳が「なりきった人」に近づくべく行動するはずです。

そのうち、だんだん自分の振る舞いや行動に変化が出てきて、気がつけば「なりきった人」になっていることに気がつくでしょう。

行動しなきゃ病

こんにちは、

最近、人をザワつかせることに悦びを感じています。

おしゃれなカフェでキャッキャ自撮りしている女子を見かけたら、どんどんザワついて下さいね(笑)まずは、自分の中のザワ子ちゃんの存在をちゃんと認めてあげないと、いくらスイーツ食っても、仲間内で批判してても、何も解消しないよ。

使命感と強迫観念は雲泥の差

懺悔します。この半年間、私はある重度の病気にかかっていました。

それは、行動しなきゃ病

コーチとしてもっとスキルをあげるために!

ちゃんと結果を出せるように!

もっと認知されるように!

英語のキャリアを活かせるように!

勉強しなきゃ!課題もやらなきゃ!

会社員からも学ばなきゃ!

セールスやマーケティングの手法も学ばなきゃ!

ブログ書いて発信しなきゃ!

もっとクライアントを増やさなきゃ!

英語の特訓を再開しなきゃ!

なきゃ!なきゃ!なきゃ!!

・・これじゃ、ただの強迫観念や。

やることはいくらでも思いつくのに、私に与えられた時間は、これまでと変わらず24時間。会社の仕事も、家事もあるのに、いきなり色んなことを出来るわけがない。手をつけたとしても、続かない。そしてまた焦る。

不安な時に、足してはいけない

心の何かを埋めたくて、何かを新しく足せばなんとかなる、の不毛なループ。というか、足し続けないと気が済まない。それを「行動しなきゃ」という美しい言葉に置き換えていただけでした。

というのを頭ではわかっているのに、心は認めようとしない。

逆だ。心は認めて欲しいのに、頭が「わかったふりをして」認めないように耳をふさいでいたんです。そんな時に流れるBGMは、心の声にフタをしている時の常套歌「頭ではわかっているんだけど」ォォ〜♬

「行動する」というと、何か新しいことを始めないといけない、今に何かを足さなきゃいけない、何か目に見える変化がないといけない、気持ちになります。

行動の第一歩は「やめる」ことから

何か新しいことを始めたいなら、どうやったって、そのための新たな時間が必要になるんです。人間に与えられた時間は24時間。今やっている何かを一つ以上、自分の手から手放す。「行動する」というのは、何かを減らすことから始まるんじゃないかな。やましたひでこさんの「断捨離」と同じです。

やめる

へらす

断る

捨てる

逃げる

委ねる

丸投げする

これらも立派な「行動」だと思うんですよ。

本当に一番最初に必要なのは・・新しいセミナーに申し込むためのお金じゃなくて、何かを差し引く「勇気」だよね。

やりたいこと、行動したいことを紙に書き出すのと同時に、やりたくないこと、やめることも書き出してみる。

特にこれからの時期、秋は、何か新しいことを始めたくなります。行動したくなります。お店には、もう来年の手帳が並んでこっちを見ています。

何かしたくなる。その気持ちは持っていい。

そのためにまずやることは、何かを「やめること」。

何かを手放せたら、この時点で、すでに立派に行動できてるから。

まずはそれを自分自身で評価してあげてください。

何かを足す話は、それからです。

そうやって、やめること、手放すことへの筋力がついてくると、

自分が本当にやりたかったこと、大事にしたいことへの棚卸しに繋がりますよ。

「もらう」ために手放してもムダです

「手放すと、入ってくる」

わかります。

私自身が、今のパートナーと出会う時に経験しました。

 

でもね、本当は、心の中では、

「手放したら入ってくるんだ、だから手放さなきゃ

のような気持ちでやってませんか。

 

新しい何かを「もらえること前提」で手放すのは

手放しでもなーんでもありません。

ただの「クレクレ」行為です。

だって、「もらうため」に手放してるってことでしょう?

「目的と手段」で考えている時点でおかしいのですが、

目的 = もらうこと

手段 = 手放すこと

になっていると、何を手放そうが、どう手放そうが、

もう何の意味もないです。

 

新しい物を買いたくて、一生懸命、

断捨離をするのと同じです。

手放すことによって

「欠ける」「失う」のが怖いから、

何か新しいもので埋め合わせないと気が済まない。

手放すことは、トレードオフじゃないんです。

 

一番良い例「神社参り」で説明しましょう。

五円だか十円だかを放り込んで、

みなさん一生懸命「お願い事」しますよね。

人によっては、三つも四つも、一生懸命。

私からみれば、これも「クレクレ」です。

「お賽銭(お金)払ったんだから、私の願い事、叶えてよね」

と言っているようなもの。

神社へのお参りが悪いとは申しません。

ちなみに私は、神社にお参りしても「お願い事」はやりません。

そういう場所ではないと考える個人的信条からです。

 

では、

クレクレ前提ではない「手放し」とはどういうことか。

どうやって見分けるのか。

簡単です。

 

手放すことで

なんとなく損をしたと思っているうちは、何かで埋めたくなります。

だから次のものが欲しくなる。

手放したんだから、入ってきてよね、という状態。

 

一方、

クレクレのない「手放し」とは、

もういいや〜、と飽きた状態に近いです。

手放しても「損をした」と思わないものです。

手放して、この先何があっても「ま、別にいいか」くらいの状況。

さて、あなたの「手放し」はどちらですか?