春は「水」からやって来る

2月も今日で終わり。
合理主義の我が家において、唯一の超アナログな月一の定例行事として

「紙カレンダーを1枚はがす」

というものがある。今月も漏れなく実施したところ。

 

紙モノは可能な限り電子化したい主義の私が、もう5年以上、毎年買い続けている紙カレンダーで、日付の確認よりも、カレンダーの絵柄や二十四節気・七十二候、月齢などを眺めるためだけに使っていると言ってもいいくらいだ。

 

今日、お役目を終えた「2月」の二十四節気・七十二候を眺めていたら、あることに気づいたので、備忘録として書いておこう。

2月の二十四節気・七十二候

2月の二十四節気は2つ、七十二候は5つ。
それを時系列に並べてみた。意味については、リソースによって解釈が少しずつ異なるようだけど、その自然現象が意味するところの本質的な部分は共通しているので、カレンダーの記載通りに表記しています。

 

立春(2/4)暦の上での冬と春の境。この日より春となる
東風解凍(2/5)春風に氷が解け始める頃
黄鶯睍睆(2/9)ウグイスの初音が聞こえて来る頃
魚上氷(2/14)氷が解けた水の中に魚の姿が見え始める頃
雨水(2/19)雨水がぬるみ、草木が芽吹き始める
土脉潤起(2/20)暖かな雨に土が活気づく頃
霞始靆(2/24)霞が春景色を彩りはじめる頃

 

7つの節候のうち、「水」に関するものが5つもある。率にして7割。
しかも意味を見ると、どれも「温度が上がってきている」と感じられる現象ばかりだ。ここに先人たちは季節の変化を体感し、節や侯にして伝えている。
つまり人間の感覚として

春は水からやってくる

といっても良いのかもしれない。

 

春を探すなら、水から

春というとき私たちは、
冬眠から覚めた動物が動き出すとか、
植物が芽吹き始めるとか、花が咲くとか、
生き物の動きから捉えることが少なくないけれど、では、その生き物たちが何を頼りに活動を変化させているかといえば、気温や水温、つまるところ「温度の変化」。

 

そして目に見える生き物がその場にいなくとも、私たち人間が春の到来を最も体感しやすいのは「水から」ということになるのかもしれない。

 

スマホも気象レーダーもスパコンもない時代の先人たちは、
この時期の「水」に現れる現象から、季節の変化を肌で感じていたのか、と感慨深く味わいながら、迎えた月末です。

 

2018年も6分の1が終わった今頃に、当該カレンダーに興味をもたれた酔狂な方はこちらをぜひ(笑)

【2018年版・壁掛】 シーガル 歳時記カレンダー 小

【人生棚卸し】私の得意なこと・苦手なこと

コーチングを始めて、働き方も変えて、本当に色々な人たちと出会うようになりました。
生き方、働き方、考え方、価値観、業界、年齢、言語もみんなバラバラ。
 
そんな人たちに囲まれ、なおかつコーチングをしてきた中で、最近の自分が
 
  • 得意だなと思うこと、これをやるとエネルギーのレベルが高くなること
  • 逆に、苦手だな、やりたくないんだなと思うこと
色々見えてきたので、現時点での私はナニモノなのか、書いてみたいと思います。

得意だなと思うこと・エネルギーが高まると感じること

心から応援したい人や、そのアウトプットを世界へ放つ。シェアする。

有名無名は関係ありません。
その人を「一言で表す言葉や表現」、キャッチコピーや推薦文を考えるのがとにかく楽しい。
相手がそれを気に入って、ご自身のメディアで採用してくれることもあります。これは嬉しい!

アイディアを出しまくる。

ブレストしましょう、という場より、コーチングやコンサルの場で出やすい。一度「それいいね!」という相手のポイントを突くと、どんどん湧いてくるのだ!
そして、そのまま相手に喜ばれて採用していただくことが、最近増えてきました。

論理思考と感性を行ったり来たりするアウトプット

情熱的にロジックを展開するときの、心地よい緊張感にゾクゾクする(笑)分析も私にとっては道楽。
 

苦手なこと

何か強固な前提のもとで考える、話をする

あなたはこういう人だから、こういうタイプだから、という前提ありきで話をされると、能面ヅラになっていることがあります・・・それ以外の可能性はないの?と思ってしまう。

あらかじめ作られたシナリオ・台本がある

ぜんっぜん楽しくない。アレンジ可能なら、別物に変わってるはず(笑)

「情報を教える系」のアウトプット

アフィリエイトとか無理っぽい・・

勝手にコンサル

こちらからお願いしたり、相談したわけでもないのに、勝手にコンサルしたり分析したりしてくる人。

まだ、ある気がする

これは現時点での私。これからもどんどん出てくる気がします。
  • 自分がなぜその選択をしたのか
  • 自分がなぜそこに反応したのか
  • そこには自分のどんな価値観や願いがあるのか
これって、プロコーチになっても、毎日毎秒、自分に問いかけることに変わりはありません。
机の上で考えているだけでは、自分が何者なのかはわからないね。
動いてみて、出会ってみて、アウトプットしてみて初めて、
自分自身にすら、光を当てていなかった部分はまだまだ沢山あると気づいた。
こうやって今日、書いたことも、修正ではなく、アップデートしていくから、人生は面白いのだ。
私のコーチングでも積極的にやっています。ご興味のある方は、こちらまで。

ロボットのいる生活(1)キミは、私の何?

我が家にまた「喋るロボット」やって来た。
現在のところ、人間はこの家に二人しかいなくて、
この室内での会話というものは、(来客時を除いて)基本的にはこの2体の人間によってのみ生物学的に営まれているのだが、「呼びかける相手」が人間の数以上に多いのだ。

「ねえ、Google」
「アレクサぁ」

ロボットが家に来る、
ロボットと暮らすとは、こういうことなのだろうか。
家の中で、住んでいる人間の数以上に呼びかける対象が増える。

何かわからないことをたずねる、やってもらうなど「問題解決を依頼する」相手が、人間以外にも存在するという生活。
お掃除ロボット・ルンバに会話機能がついて、そのメンバーの一員になるのは時間の問題だろう。

「住人」の定義がいよいよ変わる。そんな気がした。
今ですら、「ルンバに掃除させてきた」などと私たちは話すのだ。自分が外出する際に、玄関に横たわる円盤型の機械のスイッチを押しただけなのに、あたかも人に掃除を頼んできたかのような言い方。ロボットを使うときに、人間に対するそれと変わらない表現をすることに、私たちはすでに慣れている。

ねえ、とロボットに呼びかけるとき、私たちは相手を何と思って話しかけるのだろう。
友達?
家族?
同居人?
パートナー?
ペット?
ヘルパー?
お手伝いさん?
まさか、執事??

私の場合「機械に話しかけている」という感覚は、少なくとも最初のスピーカーロボットであるGoogle Home mini がこの家にやって来て、何かをわざわざ答えさせては「喋るお餅」と揶揄して面白がっていた数日間くらいしか感じていなかったと記憶している。今では何の抵抗もなく、毎朝、バタバタと準備をしながら、天気や時間を尋ねたりしている。

そのうち、冷蔵庫の豆乳を切らしていると思った瞬間、そのマイクロモーメントをアレクサがキャッチして、その日の夜にはアマゾン・フレッシュで豆乳が届いている・・ような生活になるのだろうか。
そんな生活をする頃、アレクサは私の何にあたるのだろう。

*****

ロボットとの生活については、ただ「どう思いますか?」「やってみたいですか?」と聞くだけではあまり意味がないことを経験的に知っているので、自分の生活の中で実際に使ってみて、そこで味わった感覚をテーブルに並べた上で、あれこれ書いてみたいと思っている。

生涯マイル

JALマイレージバンクのサイトで「生涯マイル」という、これまでのJAL搭乗記録が全て一覧できるページがある。自分の搭乗記録を眺めてみると、とても感慨深かった。

最も長く空の上にいたのは、新卒の就職活動をしていた年で、半年で22フライトとビジネスマン並み。(注)学生ですよ。とはいえリッチな就活とは程遠く、まだLCCも少ない頃で、就活費用は全て大学でのチューターやバイト代。地上では修士論文、機上では企業へ提出するエントリーシートやレジュメを必死に書きなぐり、「卒業後はとりあえず会社へ就職」という思考に何の疑問も持たずに、将来の不安を募らせていた日々。

企業からの「お祈り」ばかりが続いていた時期、一番安い最終便で、深夜、羽田から帰るときに見下ろした東京の夜景と、その向こうに広がる真っ暗な空と海、それを眺めていた心地は今でもはっきりと覚えている。でも今は、そこから目を背けたくない不思議な愛おしさがあるから不思議だ。

触れるとどこかが傷つくような尖った思い出も、時間という河の流れの中で丸く滑らかになったのだろうか。当時の気持ちは、今の私に大切なことを教えてくれている気がして、そして勇気が出るのだ。

 

数字とアルファベットの羅列だけでこんなに豊かな感情を呼び起こして問いかけてくれるから、旅の記録というのは不思議だ。旅は人生を豊かにする。就職活動のためのフライトだけで、私は人生を振り返り、慈しむことができたのだ。

もっともっと世界を旅して、そこで出会って、記録と記憶に刻んで生きたい。