Nobody knows you

今日から、とある学びの場に参加しています(有休で)。

 

学びの内容についてではなく、そこであらためて感じたこと。

 

「共通言語を捨てた自分が、何を伝えられるか」
「自分の生き方を、初心で伝えられるか」

 

全員が初対面で、誰も自分の顔も名前も経歴も知らないし、
そこに業界用語を盛って説明したら白けてしまうような場で、自分のやっていること、生き方をさらけ出すということを、最近やっていなかったな、と愕然とした。

 

内輪話ができる場は、確かに安心で楽しいです。
自分も相手もお互いによく知っていて、共通言語もあるし、
誰かに喜怒哀楽あれば、手放しで祝い、花を手向け、涙を流し、手を差し伸べることだって出来る。
ただ、居心地が良くなるぶん「いつまでもこの状態が続いて欲しい」とお互いが無意識に願うようになるので、刺激は少なくなるし、成長のスピードや度合いが似たり寄ったりしてくる。
良い悪いではなく、そういう場に長く留まると、だんだん落ち着かなくなるのが、私の性癖。

 

SNSでも、リアルでも、
自分の見ている世界なんて、この世界の99%以上の人は知らない。
自分が見ている景色に入り浸り続けると、そこが世界の標準に見えてくるし、自分の知っていることは、他人も知っているはず、と錯覚してしまいがち。

 

今回、久しぶりに「内輪ネタの通じない」場に飛び込んだので、刺激はあるし新鮮だし、初心に戻るべきは受講生でなくオマエだ、と「場」に言われている気がして、身が引き締まる思い。いい緊張感です。

 

互いに与え合う良質な刺激と緊張感。これも、人生を面白く豊かにするためには欠かせない。

これからの二日間、自分に課したのは、
「共通言語を捨てた自分が今、伝えるべきことは何か?」を常に意識すること。

 

もちろん、そういう場で一日過ごすのは、楽しいばかりではないし、心も体力も消耗するよ。
でも、その場に自分の時間という「命」を使う選択をしたのは自分だし、この場だけに限らず、
「自分の命を何に使いたいか」をとても強烈に意識するようになった。

 

そのために日々、他のどうでもいいことで消耗しないために、
家事に時間をかけるのをやめるべく投資し、
SNSのダラダラ見をバッサリ止める仕組みを作り、
3日以上読まなかったメルマガは全て解除した。
これはごく一部のDoingに過ぎないけれど。

 

誰も私のことを知らない。
「初心に還る」とは、ここを受け入れることから始まると思う。

【書評】「好き」と「ネット」を接続すると、あなたに「お金」が降ってくる

年間1000万PVを誇るプロブロガー・立花岳志さんの新刊

「好き」と「ネット」を接続すると、あなたにお金が降ってくる

の書評です。大半が自分の行動のための分析になっています(笑)

この本、単なる情報発信ノウハウ本ではありません。

Facebook、Twitter、ブログ、Instagramなど、何らかのSNSで発信をしている人、これからしてみようと思っている人も、ぜひ手にとって頂きたいと思います。

情報発信とは?

友達限定投稿、内輪話は情報発信ではない。

情報発信とは、誰かの役に立つ、価値があるものを提供すること。

頭ではわかっているけどね・・・という声が千人くらい聞こえてきそうなので、ここは私なりにイメージしてみました。

(ロジックをイメージに置き換える。本からの学びを自分の行動に落とし込む上でも重要なので、本や論文を読むときはよくやっています。)

 

情報発信をするときは、「誰か役立ちそうな人に届けたい」。そんな思いがあるから、願いのベクトルが自分から外側に向かって開いている。

一方、交流投稿をするときは、「自分はこう見られたい」という気持ちが無意識下で働くため、願いのベクトルは自分へ、内側へ向かっている。

 

だから、

情報発信をするなら、視線は「世界のどこかで読んでくれる誰か」へ向けて書くこと。

自分の視線がどっちを向いているかを意識してみるだけでも書く内容が違ってくると思います。

 

ここで「こんな情報、誰かの役に立つのか?」という葛藤とエンドレスにダンスすると思いますが、それは読んだ人が決めることなので、こちらで悶々と悩んでいても、答えはきっと出ません。

それよりも何よりも「まずは出してみる」。立花さんは情報発信の習慣化のコツとして「質より量より更新頻度」を挙げています。

好き→得意→強み→お金 のスパイラル

強みは、好きなことから生まれる

逆に言えば、自分の強みは「好きなこと」の中からしか生まれないということ。

自分の強みがわからない、という人はとても多いけど、自分の強みを見つけたいなら、まず好きなことを何でもやってみること。

ところが、「自分の好きなことすらわからない」という人も非常に多いんです。

私自身の経験から、
「やるべきことが先。好きなことをやるのは後」という我慢人生歴が長い人ほど、自分の好きなことすらわからなくなっている気がします。

そんな人に「あなたの好きなことはなんですか?」と聞いても、すぐには出てこない。だから紙とペンを与えても、きっと何時間も何も書けないまま、頭を抱えてしまう。無理もないことです。理由は何であれ、ずっと封印してきたんだもの。脳が考えることを拒否してしまっている。

 

「好きなこと」がわからないなら、「好きではないこと」「やりたくないこと」からアプローチするのも一つの方法です。ネガティブな考えに見えますが、人間は「嫌い、やりたくない」ことの方に、その人本来の願いや価値観が現れます。

 

「好き」を発信し続けるうちに「得意」になり、それを尖らすと「強み」になって、必要としている人から求められ、お金になる

 

このスパイラルに乗りたいなら、まずは自分の「好き」を見つけることと同時に、それが好きな自分も認めてあげること。好きなことにしろ、強みにしろ、経済的にも十二分に発揮できている人は、この辺りの自己肯定感がとっても強い。

「強み」を損得勘定ベースで作っても続かない

自分の黒経験が蘇ります・・・情報発信をするとき「この分野は儲かるから」「アクセス数が稼げるから」という理由で、好きでもない分野の記事を延々と書いても、ちっとも楽しくない。楽しくないので、続かない。

これまたコーチングでの話になりますが、「自分の得意なこと」は見つかっても、実は「それが好きとは限らない」というケース、けっこう多いんです。

「何々が得意です」と言うので、それ好きなの?と聞くと、「うーん」という反応が少なからずある。自分の”CAN”をたくさん挙げられる人は多いのですが、「それが好きなんですか?」と聞くと「はい」という答えがまっすぐ返ってこないことが多いのです。要はあまり好きではない。

で、よくよく掘り下げてみると、儲かるから、給料がいいから、就職に有利だから、評価が上がるから、親が喜ぶから、すごいと言われたいから、といった「損得勘定」でやってるうちに得意になった、というケースが多いんです。

できるけど、別に好きではない。これだと「強み」にはなれないんじゃないかな。

「あぁ、自分はこれが好きだ」と心から感じられる瞬間があるか?

自分の強みは「これまでにやったことのあることで、なおかつ好きなこと」の中にこそ見つかる。「ないから作る」ではないのです。だったら、ここを徹底的に掘り下げれば必ず見つかるということ。こう考えると、今までの人生を振り返るのが、宝の山に行くような気持ちになります(笑)

まずはここまで。

いくらでも思考が深まる本

実は書評としてまだ書き殴ったうちの半分なのですが、この本、読み返せば読み返すほど「自分のことに置き換えたらどうか?」が出てきて、書評だけで本が書けそうな勢いです。

個人名、会社としてに関わらず、ネットで何かを発信したことのある人、発信するからには成果を出したいと考えている人なら、一度は読んでみることをお勧めします。

「好き」と「ネット」を接続すると、あなたにお金が降ってくる

普段から人を笑わせてる?

日本ではハロウィンと並んで「ふだんは躊躇することを言ってもいい・やってもいい」何でもアリみたいな日になってる4月1日。

 

リアルでもネットでも、エイプリルフールに一定数ウケている人は、普段から会話やプレゼン、文章の中でユーモアやジョークを交え、ウィットに富み、緊張の場を和ませたり、笑いのある空間に変える空気を作れている人。冗談だからと誰かを中傷したり、品のないデマみたいなことを言わなくても、そのfoolにすら知性を感じるから座布団を差し上げたくなる。

 

普段からそういう習慣がない、もしくは他人のユーモアが許せない人がいきなり今日だけ「嘘だよーん」をやっても唐突すぎて、「あぁ・・エイプリルフールね、ご苦労さん」としか思えない。

 

リアルでもネットでも、普段どれだけ、人を笑わせているか。楽しませているか。喜ばせているか。

 

会社でそんなこと出来ない!っていう反応がたまにある。一日の大半を過ごしている場所で、笑いを起こすことすら憚られる。そんな空間で毎日過ごしていて、楽しいのだろうか?「笑わせるなんて場所じゃない」と思っているのは、実は自分だけの思い込みだったりしないだろうか?

 

「ウケなかったらどうしよう」が先に出てくるなら、それは「出すからにはウケなければならない」「ウケない俺は価値がない」って思ってない?

ジョークの引き出しが多い人、場づくりの上手な人は「全ての人にウケよう」なんて初めから思っていない。自分が楽しくて、なおかつ一人でも「クスッ」となってくれたらOK。たとえ全員にスベっても知らんがな。ジョークやユーモアで認められることより、楽しむ楽しませることが先だから。ウケてもスベっても、自分の価値は何ら変わらない。他人からの評価と自分の価値は、まったくの別物。

 

エイプリルフールの投稿には、その人の普段の生き方、人との接し方が滲み出ていることがあると感じた、4月1日です。

 

で、だ。明日2日は、今日よりも笑う笑わせるのビッグチャンス!入社してくる新人、配属されてくる上司や部下のPCセッティングや挨拶回りに行く前に、ぜひちょっとでも笑わせて、先手を取りましょう(笑)

【限定3枠】この春、コーチングを始めてみませんか?

4月から新年度、新学期。
いよいよ、年度の変わり目です。

引っ越しした。
転勤した。
卒業した。
転校した。
退職した。
部署が変わる。
入社する。
上司が変わる。
役職が変わる。
職場に復帰する。
入学する。
進級する。
クラスが変わる。

年末年始よりも3月4月のほうが、環境や人間関係がガラっと変わるという人もいるでしょう。

***

桜もあちこちで咲きはじめて、
希望あらたに春を、新年度を迎えたいと、
目標を立てたり、わくわくする気持ちもある一方、

何かこの時期はいつもソワソワする、
どことなく不安になる、
新しい環境に慣れるだろうか、
人間関係はうまくいくだろうか・・

という方も、いらっしゃるかもしれません。

 

そんな春こそ、
「コーチングを受け始めるには、絶好のタイミング」なんです。

4月は、年度が変わってバタバタして、慣れない新しい環境に、心と体を適応させていくだけでもいっぱいいっぱい。

気がつけば5月の連休が間近に・・と目の前のことに追われているうちに、なんとなくモヤモヤしていたものが五月病に変わってた・・・なんてこともあるかもしれません。

この春、
何かを決めたいひとも。
何かを始めたいひとも。
何かを手放したいひとも。
環境や人間関係の変化を、自分の味方にしたいひとも。

まずはコーチングを試してみて、
「ちょっとお先に」動いてみませんか?

4月開始のコーチング、3名だけ募集します

大変ありがたいことに、この時期はコーチングのお問い合わせをたくさん頂きます。

春は、コーチングを必要としている人がたくさんいる。
なんとか、お応えしたい。

そんな思いで、継続コーチング枠を、新規で3名様分、増枠しました。

現在、おひとり、おひとりとじっくり向き合いながらコーチングを行なっているため、残念ながら、これ以上は増やすことができません。

 

まずはトライアルでやってみたい・・という方も大丈夫。
体験コーチングで、味わってみてください。

(過去に無料で体験コーチングを受けられた方もOKです!)

 

この春から、もっと動き出したい。もっと変わりたい。

その思い、草花が芽吹くような、そのエネルギー、応援します。

そんな方との出会いを、心から楽しみにしています!

 

コーチングをためしてみる

幸せが、歩いてこないなら。

国連が毎年公表している「世界幸福度報告書」の2018年版が出た。

156ヶ国中、日本は54位。

ソース:
World Happiness Report 2018
Chapter 2 : Ranking of Happiness 2015–2017 (Part 2)

54位という数字に何か言いたくなったか、
日本の順位の周辺国を眺めて何かを感じるか、
去年から順位が下がったことを何と表現するか。
上位の国から共通点を探して何かを分析するか。

人によって、インパクトを感じるところが異なるのが興味深いところ。

移民と幸福度の相関関係についても言及があって、なかなか興味深いレポートなので、これを読んでも記事が2つくらい書けそうな気がしています。

 

******

 

奇しくも、こんなニュースが流れた日に、私は次のようなことを(仕事中に)考えていた。

「私は、最近ちゃんと幸せを感じているだろうか?」

ここからは、そのときの覚書き。


幸せ感度が下がるとどうなるか

一日1回以上、自分で「小さな幸せ」を感じないと、
幸福感への感性はどんどん麻痺していく。
他人の幸せは目に入りやすいので、
自分の幸せに対する要求レベルがどんどん高くなって、
その理想レベルから遥か下にいる(と思っている)自分や、
そんな自分をとりまく今の環境が許せなくて、
SNSで幸福そうに見える人を眺めては、また自分と比較して不満して、
毎日が不満だらけになる。

 

私はかつて、毎日仕事を終える頃には心身ともぐったり疲れ、
大きな仕事を終えても達成感は一瞬で消えてしまい、不満だらけだった。

「さぁ、次はこれをやらなきゃ」
「プレゼンのここがダメだった」
「誰々は仕事が遅い、発言しない、英語が下手」
「(終電で帰りながら)なんでこんなにワーカホリックやってんだか」

あれができなかった、
これをやらなかった。
自分にも、他人にも、そんなことばかりに目がいき、
仕事や会社、そこにエネルギーを費やす自分までがどんどん嫌になっていった。

何かを目標に頑張っているとき、
切羽詰まっているとき、必死な時ほど、いろんなことを我慢していたので、
「幸せなんて感じている場合じゃない!」となりがちで、
そういう意識は「自分はそうまでして、頑張っている」という自己肯定に使いやすいんだけど、その思考のクセが一度つくと、なかなか抜けず、体に染み付いてしまうんだ。

 

なんとかしたい。でも、誰かが何とかしてくれるわけでもない。

これは、もう「幸福を感じやすい体質」に変わるしかない。
体質を変えるには、日々の行動で、自己認知していくしかない。

 

幸福の感度を上げる。

「達成感」もいいけれど、もっと小さな単位での幸福感。
ほんの小さな幸福でも、感じやすくすること。
幸福を感じた自分を、否定したり律したりしないこと。

「こんなことで満足してちゃいけない」
「みんなはもっと頑張っている」

最初はなかなか大変だった。
こんな言葉がすぐに反応して出てくるのだ。

なんだかこういう言葉って・・
学校や会社で繰り返し聞かされてきた言葉だな、とつくづく思った。
一番、自分を幸福から遠ざける言葉だと、今は思う。

 

「毎日、小さな幸せを感じる習慣をつけましょう」

以前の私は、そういう思想を全く受け入れられなかった。
そういう言葉を聴いても、
「自己啓発ww」などと言って斜めに構え、必死に自分の中に入ってくるのを阻止していた。

でも、そうやって今までと同じ生活の中で我慢ばかりして、人や環境に不満や文句ばかり言って、なんの幸せも感じられない日々を延々と過ごしながら、
「自分と違う生き方を実践している人」をバカにして、
スピっぽい・・wとか
そんなキレイごと・・wwとか
宗教っぽい・・wwwとか言って。

斜め上から目線で生きてても、あまりにもつまらなくて、
結局何も変わってない自分に、もう飽きたんだ。

 

自分基準の「幸せ」に集中する

本気で、自分の小さな幸福に集中したいと思った時、
私は、自分が一番触れているSNSから少し距離を置いた。
SNSは、他人の幸福であふれている場所。
そこにいるだけで、自分の幸福と他人のそれを、ついつい比較してしまう。

 

あとは、
自分の感じた小さな幸せを、安心して共有できる「信頼できる人」がいればいいけど、当時はそういう人もコミュニティーもなかったので、
まず「自分だけで感じられる環境」を探した。

具体的には、とてもシンプル。
毎日、自分だけのノートや手帳、日記に書いていく。記録する
「できたこと」ではなく「幸せを感じたこと」

できた・できないという基準で探さないこと。
はじめのうちは「できなかった」ことばかりを探す目線になっているので、それだと単なる振り返り作業になってしまう。

どんなことでもいい。
通勤途中で見かけたネコがかわいかった、
今日は電車の遅延がなかった、
桜が咲きかけていて、ワクワクした、
夕日が綺麗だった。
ビールが美味しかった。
なんでもOK。
むしろ大げさなくらいがちょうど良い。

 

でだ。
ノートが終わったら振り返りましょうとか、
次の目標を決めましょうとか、
そういうことをしなくても、
ノートが一冊終わる頃には、見える世界が少し変わっていると思う。
それは、自分の幸せの感度が変わったから。

さあ、金曜日は、幸せを感じるチャンス!
書くことは、たくさんありそうだ。

”ダーク”コーチングのススメ

私のコーチングで扱うのは、ポジティブ!ポジティブ!なテーマだけではありません。

本当にやりたいことを見つけたい!
好きなように生きたい!
自己肯定観を高めたい!
自分の強みを見つけたい!

という人だけが受けるものなんでしょうか?
引き上げる、褒める、持ち上げる、とにかく前へ上へ!のための場なんでしょうか?

実際、そんな疑問を素直にお話してくださった方がいました。

 

結論からいうと、

「いいえ」
「それだけではありません」

もちろん、前述のようなテーマで、その人本来の願いや、響きのなかで満たされていく場になるコーチングは、私もたくさんやっています。どちらが良し悪しとか、優劣はまったくありません。

でも、

決して明るくないテーマから入るコーチングもあるよ
前へ!上へ!ではないコーチングもあるよ

ということなんです。

 

ある時、実際のコーチングで、

「今日は、まず悪態をつかせてください。吐き出してからじゃないと、いつまでもここにいる気がする」

と言ったクライアントさんがいらっしゃいました。
(この文章は、ご本人の掲載許可を頂いています)

一緒にその感情を深く見ていくことをお互いに確認した上で、私はもちろん快諾。

そしてさらにリクエストします。

「完全な他責でも自責でもいいから、とりあえず全部出してみない?」

その方は、ご家族との関係で、たまりに溜まっていたドロドロとした感情を、鬼のような形相で吐き出した。

そして私は、変わらずそこにいます。放たれた言葉たちやその主に、肯定も否定もしない。無理に励ましたり、たしなめたりもしない。でも、思いの丈を吐き出すその人すべてに、焦点を当て続けます。

 

コーチングは「吐き出してスッキリ!」が目的ではありません。
だから、ここはまだ、ほんの入り口

今の自分のドロドロした感情、今、自分の中で起こっていることの、もっと深ーい奥にある世界への入り口なのです。

今、この瞬間に起きている感情の奥にある「何か」。

そこを、お互い合意の上で、一緒に見に行くのです。

その果てには、どんな視界があって、どんな自分がいるのか、いないのか・・

 

「前へ」でもなく
「未来へ」でもなく
「治す」でもなく
「癒す」でもないコーチング。

 

でも、そんな静かで深い旅が終わる頃には、視界が、何かが、変わってみえるかもしれません。

 

***

コーチングは、とにかく前へ、未来へ!だけがゴールではないのです。
別にそれをゴールにしなくてもよいのです。

 

もちろんね、吐き出したらスッキリした!という過程はあってもいい。
その気持ちは、素直にキャッチしてください。
ドロドロを言葉にしてみて、自分の中にどんな変化が起こったのか、
そのスッキリが、今ココから、あなたの視界をどのように昇華させていくのか。

そこからまた、コーチングで旅を続けることもできます。

 

悩みやモヤモヤの深淵を、静かに深ーく見てみたい。
なんだかそこに答えがあるような、ないような気がする・・

そんな方にも、私のコーチングを使って頂きたいと願っています。

自分のJob Role を説明できるか

たまには会社員視点の覚書き。

でも、どんな働き方になっても通じるものがあると感じたので、この時の気持ちを忘れないためにも書いてみた。

海外チームとのミーティングで

担当しているプロジェクトで、各国メンバーの入れ替えがあったので、簡単な自己紹介の時間があった。そこで「あなたの Job Roleは?」と聞かれ、とっさに自分が今、やっていることをひたすら早口で並べるだけの答え方をしてしまったのだ。相手は納得してくれたが、他のメンバーのやりとりを聞いているうちに、もどかしさ全開になった。

 

相手は「今、私が進行形でやっていること」を聞いていたのではない。あなたのこのプロジェクトにおける役割は何なのか。権限はどこまであるのか。つまり一つのプロジェクトという、生きた構造物において、私ははどの骨組みや内臓に当たる人間なのか、ということを、サクッと話せるようにしておくべきだったのだ。

 

時差もあり、時間はお互いに限られているのだから、自分のRoleくらいテンプレートでもいいから、日本語/英語で、簡潔に答えられるようにしておくべきだった。

 

現在やってることをあれこれ並べて話すだけでは、自分のJob Roleを認識できていなかった、という表面的な問題だけではない気がした。意識に関わることだ。契約上の業務、上司から指示を受けた業務、緊急を要して降ってきた業務はやっている、もちろんアイディアや提案は出す。でもそれ以外はその時次第、という、かなり他人任せな仕事の仕方をしていたんじゃないだろうかと、時間がたつにつれ愕然とした。

 

働き方に関わらず、会社員/フリーランスに関わらず、

「あなたは何に対しての責任者なのか?」
「結局、何を最終プロダクトとして生み出せる人なのか?」
「その組織ににどんな利益を生み出せる人間なのか?」

と聞かれたとき、あなたはその場でスラスラと答えられるだろうか?

世界に何を叫ぶか

タイトルは大げさに見えたかもしれません。でも、ブログを書く、SNSに投稿するということは、どれだけ友達限定投稿にしようが、世界に向かって話をしているのと同じ。

 

自分の実践してきたことは、自分の言葉で話せる。

当たり前のようですが、当たり前だからこそ、改めて身にしみた経験がありました。

 

今日、自分が受けているビジネス講座の「受講生の実績例」の一人として、講師に録画インタビューを受ける名誉な機会を頂きました。録画動画が公開されたら、改めてみなさまにご査収いただくとして(笑)

 

「自分の実践してきたことだからこそ、自分の言葉で話せる」

と、あたらめて感じました。逆に言えば、

いくら何世紀も語り継がれる名言でも、

名人の言葉や良い書籍でも、

自分で実践しなければただの「受け売り」でしかなく、

自分の血肉にはならないし、自分の言葉で話すことはできない!

 

ということ。

 

そして録画インタビューはリハーサルなし、台本なし、質問内容は撮影5分前に聞いてのぶっつけ本番、なんと初撮りで完了!(嬉)

実は、自分が学び、お世話になった恩師から受講生インタビューの機会を頂くのは、今回で3回目。ありがたいことに、最近立て続けにご依頼を頂いています。

そのどれも、リハなし、台本なしのぶっつけ本番。打ち合わせはメールのやりとりのみ。もちろん、インタビューアーの丁寧なサポートがあってのことですが、それが可能なのは、やっぱり「自分の言葉で素直に話す」ことに徹していたから。

いずれの回も、ネット配信用の録画だったり、30人の前で質問も受けつつお話しする場だったりしましたが、「目の前で、ネットの向こうで、たくさんの人が聞いている」という意識は持ちつつも、やはり自分の実践してきたことをお話しする場なので、良い緊張感しかなく、むしろ楽しんでいる自分がいた。

そしてもう一つ。
毛の生えた心臓で挑むトークスキルを鍛えて頂いたのは、やはり昔の職場で、多くのお客様の前での解説・実演・ファシリテーション経験があったからこそ。

あらかじめ作られた台本があったり、社員として話す上で守らねばならない制約もたくさんありましたが、人前で毛の生えた心臓を作って頂けたことは確か(笑)

「人生、やってきたことで無駄になるものはない」という亡き恩師の言葉を改めて感じた1日でした。

***

あとは・・もう少し服装なり、メイクなりをオシャレにしよう、という反省も(笑)やはり対面で仕事をする身なので、写真や見た目は重要。いい加減、頭が花畑なプロフィール写真もとっとと変えます。もっと肌や髪も綺麗にしたいなぁ・・ゴニョゴニョ。

 

さて、これから振り返り作業です。2018年、3月11日。

究極の自己紹介。

あなたのことを全く知らない人、

SNSでも繋がっておらず、共通の知り合いもいない

全くの初対面の人、Aさんに、

あなたのことを伝えるとしたら、なんと言いますか?

 

こういうときに限って、あなたは名刺を忘れました。

Aさんは、あなたの勤務先や肩書きについては興味がありません。

「詳細はブログに書いてますので」・・と言いかけたら、

Aさんは、スマホもPCも持っていませんでした!

そしてなんと、

「私は旅人ですので、あなたにお会いできる機会は、次は無いかもわかりません」

「あなたについて、すでにネットに書かれていることには、興味がないのです」

と言います。

なので「今」伝える必要があります。

 

そのかわり、言葉だけでなく、

身振り、手振りを使ってもかまいません。

顔の表情や、声で伝えてもOK。ブサかわ、キモかわ、変顔大歓迎。

変なダンス、不可解な祈りのポーズ、厨二病と間違えられそうな目つき。

とにかく体を張って、持てる体のパーツ全てを使って、Aさんに伝えて下さい。

 

周囲に、あなたの知り合いや家族や上司はいません。

その表現おかしい、いい年して恥ずかしい、というような人もいません。

何を言っても、見せても、Aさん以外には、誰にも聞こえませんから、安心して下さい。

 

・・・あなたが勇気を振り絞って心身から絞り出したもの。

誰の目にも声にも邪魔されず、自他の作った理想や「べきねば」のない姿。

それが、いわゆるBeing(あり方)への入り口なのではないかと感じています。

そんな「Being生絞りの会」を、少人数でやってみたくなりました(笑)

コーチングと武道

武術家である友人と話をしていて、自分の中から出た言葉に思わずハッとすることがあった。

 

コーチングは、武道に近いものかもしれない。

 

あくまで私個人の解釈で、と断った上で書くと、

武道における(対戦)相手との対面の場では、相手に対する最大限の「礼」が必要不可欠。

たとえスポーツという形になっても、相手への敵意や憎悪で取り組める競技ではない。

 

そこにあるのは、相手への絶大なる信頼だ。

 

双方の無意識に、その基盤があるからこそ、相手に敬意を払い、全力で対峙し、互いに一切の遠慮なし、手抜きなし、躊躇なしの空間を、相手と共に「今この瞬間から」作り上げていくことができる。

 

コーチングにも、流派はあれど、その精神は武道と共通するところがある。

まず、相手への絶対的な信頼と敬意。

これ無くして、コーチングの関係は成り立たない。

 

「人は生まれながらにして、欠けるところのない存在である」という揺るぎない信念のもとに、相手の言葉や表情、動きを空間全体で捉えながら、その人全てに焦点を当てていく。

決して、相手の「欠けているところ」をコーチングで探究していくわけではないのだ。

 

それは過去の記憶や未来への予測や懸念からではなく、「今この瞬間」から創り上げていく「空間」であり「時間」である。

そこには、相手からの信頼と、やはり「この場を共に創り上げ、前に進みたい」という互いの強い願いがなければ成り立たない。

 

時として相手が聞きたくないであろうこと、目を背けてきたことも、コーチは容赦なく言葉にする。

相手のため、というよりも、今、相手の中に起こっている感情と本気で対峙し、一切の遠慮なし、手抜きなし、躊躇なしで向かい合うことができなければ、相手の「本質的な変化」へと繋げていくことはできないと知っているから。

 

***

 

私は学生時代に空手を学び、極めたとは言いがたいレベルで遠ざかってしまったけれど、「礼に始まり礼に終わる」場で叩き込まれた、武道の精神のなんたるかの片鱗が、脳裏にしっかりと残っていた。それがコーチという立場に変わっても生きていたと感じられたことが、素直に嬉しかった。

今日、たまたま会話の中から、自分が体を張って取り組んできた二つのことー過去の点と現在の点が繋がったような感覚を味わうことができた。

 

精神とは生命のように不可解で、形状不安定だが、最後は本質の核だけが魂に生き続け、人生の糧になっていく。